失われた時を求めて(12) 第7篇 見出された時 1
失われた時を求めて(12) 第7篇 見出された時 1 / 感想・レビュー
扉のこちら側
初読。2015年1075冊め。【58-12/G1000】最終篇が始まるこの巻、パリのエピソードはあまりピンとこなかったが、終盤の怒涛のような芸術論・文学論に圧倒される。「そのとき、なるほど芸術作品こそ〈失われた時〉を見出す唯一の手段であるということを認めさせたあの光明のように目覚ましいものではなかったが、別なもう一つの光明が私の心にひらめいた。そして私は理解した、文学作品のすべての素材は、私の過ぎ去った生涯であるということを。」(P358)
2015/10/12
NAO
前巻から時は流れ、二度の戦争の間、語り手は療養のため何度かパリを離れている。この巻のテーマは、文学への疑念と、その後の文学への希望の回復。戦後パリに戻りゲルマント大公家のマチネーに向かった語り手に起きた記憶の奔流は、物語の最初に紅茶に浸したマドレーヌによって過去が突如として喚起されたときと同じものだった。そのあとに長々と続く文学論からは、プルーストの文学に対する真摯で熱い思いが伝わってくる。
2015/10/28
ナハチガル
【集え!失われた時を求めし者たちよ!3年で『失われた時を求めて』読破マラソン】戦争が暗い影を落とし、シャルリュス氏の更なる悪徳と友の死が語られ、ついに語り手が不安定な敷石の上で悟りに至る。語り手とともにこれまで読んできたエピソードが走馬灯のようによみがえる様は圧巻。なかなか他の小説、いや、あらゆるメディアのいかなる作品においても、この感動は味わえまい(最新のCG技術でこのシーンを再現したらどうなるか、興味はあるけど)。「実を言えば、一人ひとりの読者は本を読んでいるときに、自分自身の読者なのだ」。A++。
2018/06/21
kinka
遂に芸術家としての天命に目覚める語り手。真の美や快楽は、越し方行く末にあるのではない。それは己の奥の、ほんの一瞬ひらめく感覚の内にある。それを捉え、本質を見つめ、再構築し、外に向けて表現すること、それが芸術であり、鑑賞者は創造者それぞれの持つ世界を、驚きと鮮烈な感覚でもって疑似体験できるのだと彼は悟る。でもこれ、よく考えなくても凄い選民思想だよね…創造者と一般人の間に歴然と違いを置いてるんだもん。スワン氏やシャルリュス氏が俗な快楽に囚われていたのを今や高みから見下ろしてるんだよなこいつ。傲慢で、残酷だ。
2015/12/26
ぜっとん
文学への疑念と希望の回復。かの高名なプルースト文学論。賛成するかどうかは別として、想起のされ方であったりこれ以前の文体すべてを説明する論になっていたりとエキサイティングで心躍ることは間違いない。これだけの長編でこんなにも美しい構成を見せつけられると嬉しくなってしまう。
2014/03/14
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