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「日出づる処の天子」は謀略か ―東アジアと聖徳太子 (集英社新書)

「日出づる処の天子」は謀略か ―東アジアと聖徳太子 (集英社新書)

「日出づる処の天子」は謀略か ―東アジアと聖徳太子 (集英社新書)

作家
黒岩重吾
出版社
集英社
発売日
2000-02-17
ISBN
9784087200171
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「日出づる処の天子」は謀略か ―東アジアと聖徳太子 (集英社新書) / 感想・レビュー

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SOHSA

聖徳太子(厩戸皇子)の人生を大陸・朝鮮半島情勢から解説。聖徳太子の人間としての脆弱さに着目した切り口は、一般的な太子のイメージを大きく変えることには成功している。しかし、個人的にはやはり聖徳太子は超人であってほしいのだが。

2013/03/19

ふたば

聖徳太子を慈悲深く、優秀だったが、外交には手腕がなかった。そのため、馬子と額田部に政治の中心から放逐された。と著者は考える。若くして為政者の一人となった厩戸皇子だが、その周囲の人間関係の、複雑かつ醜さから目を背けるように美しく、優しい仏教の世界に没頭したように見える。きっと純粋で気高い気質だったのだろうと思う。それだけに、理想だけを追い求めて政治の何たるかを知ることができなかったのだろう。通説とは異なる太子像はさすが作家だ、と思う。政治の世界ではなく、学究の徒として仏教の世界に居場所を見つけていたら。。。

2021/10/07

aoi_emblem

日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々。 この国書は聖徳太子が師と崇めていた高句麗の高層慧慈が、隋に攻められている祖国を守るため、倭の国から隋へ戦を止めさせるために太子に書かせた書であるらしい。その高飛車な物言いが隋の天子の逆鱗に触れ小野妹子が持ち帰った隋の紛失したと言われる国書はいかなるものであったのか⁈太子は隋の使者に謝り、政治の場から遠ざけられてしまうという失策を犯し、病に没するまで人の世の虚しさを嘆いていたに違いないでしょう。聖徳太子について少し詳しくなりました。

2015/11/04

fuji

故郷史を齧り始めたら、日本史の中世、古代またそれ以前の事まで知らないことが多々あるのを発見。更にこの本のカバーする東アジアの古代まで首を伸ばすことになった。で、それがつまらないかと言えばそうではなくて逆に興味が募ってしまった。聖徳太子にスポットをあてながら歴史を探るこの一冊。学者ではなく作家としての視点から想像力を駆使して迫る語り口に惹きこまれ、自ずと知識情報が得られるのだから嬉しい。島国日本の平和観が培われてきた原初を知る事が出来た。

2015/09/28

聖徳太子は完璧な人、というイメージが変わります。

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