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徳川家康の詰め将棋大坂城包囲網 (集英社新書 476D)

徳川家康の詰め将棋大坂城包囲網 (集英社新書 476D)

徳川家康の詰め将棋大坂城包囲網 (集英社新書 476D)

作家
安部龍太郎
出版社
集英社
発売日
2009-01-16
ISBN
9784087204766
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徳川家康の詰め将棋大坂城包囲網 (集英社新書 476D) / 感想・レビュー

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優希

関ヶ原の戦いで勝利したとはいえ、家康はそのままうまく天下人になれなかったようです。まだ豊臣には権威が残っており、それに備えた家康の動きが語られていました。大坂夏の陣に至るまでの15年間に渡り、その対決の間に備えた包囲網としての城。家康は豊臣に対するために様々な城を築いてきたということを知ることができました。豊臣の末裔が残っている状態では、天下はどちらに転ぶかわからないもの。そのためには大坂のみならず、広い範囲の築城の必要性があったことは興味深かったです。城を軸に家康の動きを見ているのが面白いところでした。

2016/08/28

gonta19

2009/2/28 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。 2013/9/7〜9/11 関ヶ原後の家康の考えが非常に良くわかる。これまでここに書かれている視点で観たことは無かったが,ここに書かれた城の造りや廃城になった経緯などを見ると,非常に納得できる説である。よく言われるように,豊臣家を滅ぼしたのは徳川ではなく,淀殿だったのだなぁ。

2013/09/11

だまし売りNo

方広寺鐘銘事件は言論弾圧の卑怯な言いがかりである。しかし、銘文を撰した僧の清韓(せいかん)が隠し題の趣向を取り入れ、国家安康に家康の名を用いたということを言っている。これは藤堂高虎の陰謀による清韓のやらせとする説がある。「この鐘銘は高虎が清韓とはかって意図的に刻ませ、時期を待って問題ありと騒ぎ立てた可能性がきわめて高い」(153頁)。高虎は清韓を庇護し、死後に津の寺に埋葬させている。豊臣家にとって方広寺鐘銘事件は冤罪であった。

2023/11/13

ようはん

関ヶ原の戦い後、対豊臣を見据えた日本各地の築城についての話。関ヶ原から大坂の陣の期間、西国にはあまり親藩や譜代大名を配置出来てなかったのだが、その中で貴重な存在だったのは豊臣系寄りながら縁戚の池田家や親徳川であった藤堂高虎辺り。特に築城の名手である高虎の尽力は大きく彼の存在無ければ対豊臣戦略は展開は変わっていた。

2023/01/23

鐵太郎

 関ヶ原の戦いは西暦1600年に行われました。この戦いの結果、家康率いる東軍が勝利を収め、天下の覇権は定まり、家康はじっくりと待って大阪の陣(1614-1615年)でついに豊臣家の残党を叩きのめし、天下統一を果たした、というのが普通の歴史観ですね。それは違うよ、と言うのが著者の論。家康の遠大な計画とはなんだったのか。それにしても、関ヶ原から大阪の陣に至る歴史の中で、仮に家康が暗殺されるとか戦没するとかした場合、どのような歴史になったでしょうか。戦国時代がもっと悲惨な形であと半世紀続いた可能性もある。ふむ。

2009/05/04

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