水滸伝 11 天地の章 (集英社文庫 き 3-54)
水滸伝 11 天地の章 (集英社文庫 き 3-54) / 感想・レビュー
W-G
大きな戦が終わり、次の山場を迎えるまでの梁山泊内部の掘り下げに重きが置かれている。再登場の索超、己と向き合う樊瑞や杜興等、どの逸話も面白い。しかし、この巻はそれだけに留まらず、梁山泊を揺るがす一大事が起こる、物語にとって非常に重要な位置を占めたものとなっている。前巻が華々しい戦の活写がメインであったのに対して、様々な人物が内向的に死に向き合う様子が繰り返し描かれ、結果、陰りの多い落ち着いたトーンで統一されている。胸熱というよりは、じわじわとゆっくり、心の深いところまで染み入ってくる、静かな感動のある一冊。
2021/12/07
しんごろ
攻めるか!待つか!この論議でもめても、外に出ていても、中に残っていても頭領二人の心は奥で繋がっている。「おまえの顔が見たくなった。」このメッセージが全て!もう会えなくても、彼らは無二の友であることは間違いないなかった。樊瑞の覚醒、杜興の意外な才能が輝きつつ、今回は梁山泊、官軍が整備しつつも静かに戦い、情報戦がおこなわれた感が…。嵐の前の静けさか…。青蓮寺も静かすぎて、次巻が気になります!
2017/09/21
ehirano1
公孫勝「何もわからんということが、わかるだけかもしれんが」、樊端「じゃ、無駄だ」、公孫勝「その代わり、別のものがわかるさ」。この一連の会話がとっても印象に残りました。こういうのなんか好きです。
2020/01/03
ehirano1
「人はたやすく死ぬし、(一方で)なかなか死なない⇒死んでもおかしくない者が生き、死ぬはずのない者が死ぬ⇒(つまり)死ぬ時が決まっているからではないか(つ、推測される)⇒(故に)その時が来るまで死にたくても死ねない。時が来てしまえば死にたくなくても死ぬ(はず)⇒(しかたがって)それぞれの人間がその時を持っている(のではないか)」。この理論構築がなかなか興味深いです。因みに()は当方が加筆しましたwww。
2021/01/11
ehirano1
樊端「考えてもわからないということが、わかりましたよ」、公孫勝「生死の分かれ目というものは?」、樊端「だから、運命というような言葉を人は作ったのでしょう・・・凌ぎきることもたまにはできる。自分の力であったり、他人の助けであったり。しかし、いつかその時は来る。私はただ、それだけがわかたっと思います」。樊端、凄いなと思いました。本書はホントに死生観全開です。
2022/11/28
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