ためらい (集英社文庫)
ためらい (集英社文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
読んでいる時の印象では、明るく軽やかなカフカといったところだろうか。小説の舞台となっているサスエロは音感からすればスペインかイタリアのどこか。もう一つ出てくる地名、サンタグロラもイタリアっぽい。ビアッジ家はイタリア名前か。一方、レストランの「シェ・ジョルジュ」はフランス語。おそらくは架空の地なのだろう。描かれる情景もくっきりとリアルでありつつ、どこか夢の中の風景のようだ。迷宮でもなく、どこにもありつつ、そしてどこにもない世界。最後に黒猫の謎の種明かしがなされるが、結局は「ぼく」の限りない妄想であったか。
2017/05/15
藤月はな(灯れ松明の火)
この物語は「今朝、港で猫の死体を見た」という一文で始まります。友人、ビアッジに会うために村に訪れた主人公。しかし、ビアッジには会わずに彼に監視されていると思ったり、猫を殺害したのはビアッジじゃないかと疑ったりする。主人公の考え方はぶっ飛んでいるのに淡々とした文体で語られるのでこちらの感情もだんだん、無くなっていくような感覚に襲われます。おそらく、静かで穏やかな狂人の思考回路はこんなものじゃないかと思わせるような語りです。そして感情の見えない語りに対し、周囲の風景はカメラや映画のように詳細すぎて困惑します。
2014/10/01
kana
何も起こらない。最初のうち、あまりに何も起こらないので苛立ちすら覚えたけれど、徐々に不穏な空気が漂い始め、じわじわのめり込んでいきました。水面に浮かぶ黒猫の死体、グレーのメルセデス、友人宅の郵便受けの手紙の動向などから不安をつのらせ、あらぬ妄想にかられる「ぼく」の思考が怖い。対照的になぜか彼が連れ歩く、愛する生後8ヶ月の息子は、道で拾ったプラスチックの古いサンダルの裏側に頬ずりしたり、食べ物を期待して大口を開けて待っていたりして大変可愛らしく、主人公が甲斐甲斐しく世話する様に心安らぐことたびたびでした。
2013/12/06
ミエル
何度目かの再読。数々のためらい行為、煮え切らない態度、何もしない罪悪感と贅沢、なんとも身につまされる思いで苦笑ばっかり。まるで調子が悪い時分の己を盗撮されてる気分になる作品。そんな親近感に嫌悪しつつ嫌いになれない主人公を時々会いたくて再読するのかも知れない。
2015/08/08
たなしん
海辺の猫の死体からはじまり、ためらい続けることで物語を進展させないというめちゃくちゃな話だけど、ため息が出るほどよかった。なぜ会うつもりだった友人の影に怯えて身を隠し続けたりするのか、とか、そもそもその相手は友人なのか、とか、妙な謎を出しては引っ掻き回してくるけど、それらがすべてただぼくのためらいによって起こったことだから、結局何も動かない…とは強烈なユーモア。さすがです。それでいて場面場面は印象的。何もないを書く、の作家だとしても、こんな豊饒な何もないもないよなあ、という。大好きです、こういうの。
2012/02/22
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