ユリシーズ 3 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ J 1-3)
ユリシーズ 3 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ J 1-3) / 感想・レビュー
ケイ
先週半分読んで、あまりの理解できなさに中断。ホメロスを読んで再開。思うのは『ユリシーズ』は大作ではあるが感動作ではないということ。各章であまりにも書き方が違う。これは作者の言葉の冒険に付き合わされているようではないか。この遊び心を楽しむ必要はあるのだろうか、とも思う。さらにジョイスの高尚なお遊びに、日本の一流の訳者たちか真っ向から本気で取り組み過ぎて、さらに奇天烈なものが出来上がっている。書くこと、あるいは訳しあげることが第一義で、読者を置いてきぼりにしているみたいだ。最終巻は、何としても読み終えよう。
2017/09/15
ケイ
第3巻半ばで、鹿島茂氏の解説を先に読むと、これ以上先に進むことができなくなった。鹿島氏が言う『ジョイスは、異常なまでに特定の作品に憑依する傾向が強く、ある作品を読むとたちまち、その作品の言語〜文体で喋り出す癖があったと言われる』の部分が、まさにスティーヴィンの語りで私が感じていたことなので、鹿島茂氏が門外漢が勝手に語ると言うところのフロベールの作品の前に、『オデュッセイア』、その前にその前編の『イリアス』を読み、それからこの3巻に戻ることにする。こういうのは本当にワクワクする。
2017/09/06
のっち♬
14章では古今30以上に及ぶ多彩な文体模倣が発揮されるが、13章の風刺的な態度から一転して元ネタとなった文章や場面への敬意が感じられる。15章では現実よりも幻覚が主に扱われ、その内容は本人にとって重要な体験が反映された悪夢のようなものになっている。戯曲形式の採用も夢幻的な雰囲気とマッチしていて効果的。倒錯した性愛を通して人間の葛藤や欲望など深淵な内面に切り込んだかなり難解な章だ。どちらの章も渾沌とした印象を受けるが、旺盛な実験精神の中に戯れ心が随所に顔を覗かせていて、これが絶妙なスパイスを効かせている。
2021/01/10
みつ
第3巻に至り、ますます混迷を極める。とりわけ第15挿話「キルケー」は、400ページにわたり、挿話冒頭の解説によれば「戯曲体による夢幻劇」で「現実と幻覚とが混沌とし、「どの登場人物が幻覚を見ているのか特定しにくい場合もあ」り「複合的人物の内的世界」を描いているとのこと(p104)。もはや理解不能でありそうなことを予め教えてもらって本文に入れたのは、ある意味よかった。これに比べれば、第14挿話が古代から作品発表時に至る様々な文体模写という企みが、まだしもわかりやすい。とはいえ、『古事記』から平安期王朝物語➡️
2024/06/23
zirou1984
読了したと言うより、何とか目を通せた程度の第3巻。夜の淫らな街で現実と幻覚の間を彷徨う二人を戯曲形式で描く15章も強烈だが、何より圧巻なのは14章。ここでは歴史上の文体の模倣が次々と繰り出され、ラテン語散文直訳体から年代記、古代英語に中世文学、そして近代の作家へと次々と変化していくのだが、それを翻訳ではかな/漢字/ルビを総動員しつつ、漢文崩し風に始まり古事記から万葉集、源氏物語から平家物語と進み近代では井原西鶴や夏目漱石、谷崎らの文体の模倣によって再現される。僅か80頁程の章で文学史を縦断する暴挙と衝撃。
2013/07/28
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