失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 1 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ P 1-5)
失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 1 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ P 1-5) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
「私」の一家がゲルマント邸内のアパルトマンに引っ越したために、「私」の生活や意識も一気に「ゲルマントの方」に向う。前の巻では中心的に語られていたアルベルチーヌは姿を消し、物語はもっぱら社交界を舞台に展開する。この辺りまで来ると、底流には祖母の問題、そして表層にはロベールとラシェルの問題など様々なものが錯綜してくるようだ。また、当時の社交界の話題の中心はドレフュス事件だったようだが、少数の例外を除いては、ブルジョワや貴族階級の間では反動と反ユダヤ主義が主流をなしており、フランスにおけるこの問題も根が深い。
2013/12/09
ケイ
主人公の社交界への踏み出しとなる巻。ゲルマント領の一角に引っ越してきた主人公は、ゲルマント夫人に激しい憧れを抱き、胸をときめかせ、何とか近づこうとする。しかし、他のエピソードの前では霞んでしまう。印象深いのはドレフュス事件への言及が非常に多いことだ。作者の分身とも言うべき主人公は、周りの人のこの事件への対応について述べているにすぎないが、それがかえって作者自身の、その出自の対するわだかまりであるかのように思える。繰り返し語られる社交界の駆け引きや見栄、意地悪さなどには些か辟易してきたところ。
2015/10/18
夜間飛行
朝の散歩道でゲルマント夫人を待つ語り手は、オペラ座での煌びやかな姿とはまるで違う、吹出物の出た不機嫌そうな夫人に驚く。人間に様々な顔がある事はくり返し確認されるが、中でもサン・ルーの恋人をかつて娼家で見た女だと知った衝撃は大きい。しかしそこでも親友への同情があるし、フランソワーズや祖母の二面性に向ける視線にも優しさがある。ところが本巻後半になると社交界に同化できないユダヤ人ブロックが滑稽に描かれ、それを排除しようとする人々の嫌らしさが浮き彫りにされる。温かさと冷たさの交錯にもこの小説独特の風景があるのだ。
2015/12/30
s-kozy
第三篇は「ゲルマントの方」、すなわち語り手は貴族の世界(社交界)に近づいていく。それにしても「ドレーフュス事件」に関する記述が多い。19世紀末のヨーロッパではユダヤ人の同化とその反動による排除が進んでいったんですね。これがナチズムや現代のイスラエル問題にも繋がるのですね。なんて人間って近視眼的にしか物事を捉えられないのでしょうか?474頁には「今の時代には、利害を離れた研究などもう存在しておりませんし、読者に売られているのは猥褻なものか。くだらない作品ばかりだ」という記述あり。これって(続く)
2015/12/25
たーぼー
『名前』と『地位』から放たれる幻想と特殊な力に惑わされる人間の姿というものは現代にも遺伝子レベルで受け継がれる避け難い性なのだろう。もっとも語り手が抱くゲルマント公夫人と上流社交界への辟易するほどの複雑、繊細極まる執着といった類は文化、政治、個人によって隔たっているとは思うけど。また本巻で度々採り上げられるドレーフュス事件についてのプルーストの見解について特段、感じ入るものがなかったのは当時の貴族社会では必として意見を二分するごく一般的な認識じゃないの?と読み取れるからか。続く
2015/09/19
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