失われた時を求めて 9 第五篇 囚われの女 1 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ P 1-9)
失われた時を求めて 9 第五篇 囚われの女 1 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ P 1-9) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
「私」のいう「愛」の実態がどうもわからない。「アルベルチーヌを永久にわが家におくというのはプラスになる快楽であるどころか、だれもが順ぐりにこの花咲く乙女を味わうことのできる世界から彼女を引き離したという快楽」と語られるのであり、それは一面で主体性をはなはだしく欠いたものである。これでは、たしかに彼女は「囚われの女」でしかないだろう。あるいは、作家の強烈なまでの自意識と、そして自己の意識に対する徹底した分析がこのように語らせるのだろうか。一方、シャルリュス男爵の眼を覆うばかりの凋落は階級のそれでもあろうか。
2013/12/19
ケイ
この巻より刊行はプルーストの死後。彼がさらに修正を加えてから出版するつもりであったかどうかわからないが、名前のない語り手の代わりに、作者の名前マルセルと呼ばせているところが何箇所かあったのが気になった。アルベルチーヌの同性愛傾向を疑うあまり、彼は彼女から離れられなくなる。女性を恋人に持つ男性は、彼女の周りにいる男性にも女性にも疑惑を抱き嫉妬に苦しむ。そして、男性を恋人に持つ男性は、恋人の女性関係に苦しめられる。こういうことは、きっとフランス人には日本人の私達よりも理解しやすい状況だと思える。
2015/11/14
夜間飛行
もう愛していないアルベルチーヌをなぜかくも疑い、拘束しようとするのか…これは、コンブレーで母のキスに執着した少年時の不安を考え合わせないと理解できない。それに語り手は本当に彼女を愛していないのだろうか。愛や嫉妬が間歇的に甦るなら、それも愛と呼ぶべきではないだろうか。だがアルベルチーヌがゴモラの女ならば、彼女への愛はゴールなき競走である。語り手が、《花をつけた茎》のように眠ってしまったアルベルチーヌの傍に横臥しながら軀のそこここに手を置き、《月光を浴びた浜辺》にいるように寝息に聞き入る場面は、美しく哀しい。
2016/01/17
s-kozy
「手に入らないから欲しくなる」、「嫉妬心に煽られ相手に執着する」、「手に入った途端興味をなくす」。本巻で繰り返される主人公の愛に関しての思考、妄想。「囚われ」ているのはアルベルチーヌではなくて主人公?
2017/12/07
SOHSA
《購入本》まさに副題のとおり、誰も彼もが囚われているようだ。アルベルチーヌはもちろんのこと語り手もプルースト自身も、そして或いは読者も。本巻はプルーストの死後に発表されたとのことであり、なるほど前巻までとは微妙に語り口が異なる印象がある。例えば今まで語られなかった語り手の名前をマルセルと呼ばせる等。いずれにせよ、相変わらず作者自身の怨念が渦巻いている。偏執的な愛情はやはり愛とは呼べない。互いに嘘で積み上げる生活に希望があるとは思えない。とはいえ、この昏い力に引きずられ、私も次巻へ飲み込まれる。
2017/06/14
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