失われた時を求めて 10 第五篇 囚われの女 2 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ P 1-10)
失われた時を求めて 10 第五篇 囚われの女 2 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ P 1-10) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
物語の前半では、ヴァントゥイユの七重奏曲から作曲家(おそらくは芸術家全般に当てはまるだろうが)における調子(アクサン)を論じ、また後半ではスタンダールからフェルメール(これはスワンの分野でもあったが)、そしてドストエフスキーを論じる明晰さと、アルベルチーヌに対する果てしなく循環的な煩悶とが語り手の中に混在する。もっとも、それはアルベルチーヌにではなく、自己自身の妄想的なまでの欲望と想像力の産物だったのだろう。すなわち、プルーストにとって小説を書くという鋭意そのものが、同時にここでのテーマを形成しているだ。
2013/12/21
ケイ
アルベルチーヌへの態度…思い通りにならないものをなんとかしたいが本人に表立って言うのは格好悪い、何をしていたか聞かずに推理して自分勝手に苦しむ、彼女をつなぎとめるために散財する、拗ねれば出て行ってくれと言い放つ。関係が全く対等ではない。アルベルチーヌはしたたかに対抗する。花咲く乙女たちで描かれた毅然とした感じは全くなくなり、まさに娼婦だ。どちらにも嫌悪感を覚える。ヴェルデュラン夫妻の俗悪さに、ドストエフスキが描いていたフランス人の姿が重なる。しかし、俗悪でもサロンの出来事の方が囚われた女より興味をそそる。
2015/12/01
夜間飛行
語り手はヴァントゥイユの七重奏曲を聴きながら、記憶の中の何人ものアルベルチーヌを思い浮かべ、いつしか眠る彼女と共に優しい曲に包まれているような気持になってゆく。その時ふと、同じゴモラの女であり父を汚した「ヴァントゥイユの娘」を連想するのだ。ヴァントゥイユは娘の眠りから曲想を得たのではないか? 語り手にこの直感が生まれた瞬間は、霧の中にうっすらと伸びる一本の道が見えたようだった。「囚われの女」以降は作者の死後ノートから再構成された部分で、所々に内容の不整合が見られるけれど、そこにふしぎな魅力を感じてしまう。
2016/01/24
s-kozy
すっかり歪んでしまった語り手の心。アルベルチーヌに対する嫉妬心が渦巻き、さながら蟻地獄に落ちて行く。現状から離れようと考え始めたところでアルベルチーヌの方から自ら出て行ってしまった。この後、どうなるんだ?
2018/05/30
たーぼー
ヴァントゥイユ七重奏曲が流れるとともにプルーストの芸術的審美眼がとめどなく溢れだす。それは聴き入る「語り手」らとともに、こちらも著者の表現を通じて観賞体験をしているようでグッとくる。そして中盤からの「語り手」とアルベルチーヌの駆け引きが実にリアルだ。嫉妬と疑惑の中で理解され、時に誤って理解された愛の行き着く先はこうなるしかなかったのか。偽りが増えるのも自然の成り行きか。最後に策を弄する男がみじめではあるが先天的な互いの欠如の広がりを伴いながら噛み合わなくなっていく二人が生々しい。
2016/10/17
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