ユリシーズ 2 第十一挿話から第十五挿話(前半)まで
ユリシーズ 2 第十一挿話から第十五挿話(前半)まで / 感想・レビュー
syaori
歌の歌詞にブルームの気掛かりや思いが対応する音楽的な、華やかな歌曲を聞くような『セイレン』の章で幕開け。描かれるのは、知人と食事をとり、酒を飲んで議論し、妻の不貞を疑いというある意味平和な日常なのですが、音楽的また擬古典風、女性の読み物風といった変幻自在で華麗な文体がブルームの懊悩や回想、それに絡まる人々の論議や物語を彩り、生きることの滑稽さと哀しさを陰影に富んで彫り上げて全く飽きさせません。真夜中のダブリンを舞台に、登場人物たちの「内的世界」と現実が悪夢のように交錯する『キルケ』の挿話を追って次巻へ。
2020/02/17
NAO
「ナウシカア」の日暮れ時に幼い子どもたちを海辺で遊ばせているノスタルジックできれいな情景描写にかさねあわせるような、足の悪い思春期の少女が自分を見つめるブルームにロマンチックな思いを寄せる心理描写が美しいが、ブルームの独白となったとたんに俗っぽく下卑た感じになってしまうその落差が見事だ。「太陽神の牛」では、一つの章の中で古代英語から現代の散文体まで文体を変化させているのを、日本語訳では古事記風から谷崎潤一郎風まで7つの文体で表している。とりたてて内容が難しいわけではないが、とにかく読みにくい。
2017/03/13
燃えつきた棒
#22Ulysses あくまでも読書ノートでしかないが、思ったことを書いてみたい。 本題から離れてしまうかも知れないが、致し方ない。/ [訳注] 【七八六 下等動物(その名はレギオン) イエスがゲラセネ人の地に行き、舟から上ると、悪霊に憑かれた人が走って来て、前に平伏し、わたしを苦しめないでくれと叫ぶ。イエスが、悪霊よこの人から去れ、と言ったからである。→
2022/04/22
燃えつきた棒
集英社版では、 【ーー迫害と言いますがね、と彼は言う。世界の歴史はみな迫害でいっぱいですよ。そしてそれが民族(ネイション)と民族(ネイション)のあいだに民族的敵意を永続させている。】(集英社版、1996年。第二巻192p) から、 【ーーおやおや、それじゃあ、と笑いながらネッドは言う。おれは民族だぜ。この五年間、同じ場所に住んでるからな。】(同193p) に至るまで、“nation”を「民族」と訳しており、 【ーーところでお前さんの国(ネイション)はどこなんだい?と市民が言う。】(同)→
2022/09/14
みみみんみみすてぃ
意味が分からん。わしには分からん。〈Ⅰ〉を好きになり、第十三章の妙にエロティックな海岸でのシーンなども好みなのだが、続く14章、15章をまともに読むと、やっぱりわけがわからなくて疑問がフツフツと……。14章はまだいい。15章の圧倒的なお喋り、両性具有、はっきりいって読んでいて悪酔いする、気持ちが悪い。今の僕に消化できないのが悲しいが、第三巻も手に取ります。。
2016/11/20
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