ユリシーズ 3 第十五挿話(後半)から第十八挿話まで
ユリシーズ 3 第十五挿話(後半)から第十八挿話まで / 感想・レビュー
syaori
1904年6月16日のダブリン。ジョイスが「冗談まじめ」に創造した一日。人が死に、生れ、飲み、騒ぎ、様々な思いや秘密を胸に嘲笑し享楽し過ぎ去った一日。この記憶の底に沈むべき平穏な一日が同時に朽ちることのない一日なのは、そこに人の滑稽さと愚かしさ、哀しい可笑しさがあるからなのだと思います。ブルームやスティーヴン、彼らと関わる、関わった人々を通し描かれるそれを作者の筆は何と皮肉に優しく祝福したことか。だから、変幻自在の文体で華やかに彩られたこの一日は、真実よりも真実な一日として永遠に輝くのだと思いますyes!
2020/02/21
NAO
妻が不義を働いている間は家に戻れないブルームが20年間漂流し続けたオデュッセウスのように20時間余りダブリンを放浪し、ダブリンの街中にあって自分と同じように孤独なスティーヴンを亡くなった自分の息子のように親近感を持って見つめている6月16日。この日は、ジョイスが妻と初めてデートした日なのだそうだ。様々な文体で表された、スティーヴンの鬱屈した、でも、断ち切れない文学への思い。彼はその後、自分を認めてくれないダブリンをあとにする。この一日の彷徨は、故郷を離れることになった長い旅のきっかけだったのだろうか。
2017/03/20
amanon
読了のハードルは意外と低かったが、それでも理解の程はあやふや。とりあえず、ごく狭い地域を舞台に、膨大な数の人物を登場させ、様々な人間模様を展開させるその力技に感服。そして、そこに駆使された夥しいまでの言葉遊びや文体実験、暗示などは、一読しただけではとても把握しきれない。また注釈と本文との参照もおぼつかない…やはり後十回は読まないと…と思わせるのは、やはり沼(苦笑)。また、巻末の解説が、本作品への新たな興味を喚起させる。特に、作品中でも度々言及されていたが、アイルランドの複雑かつ過酷な歴史に胸が痛む。
2024/02/22
MOTO(作り直し)
正直もう途中から何が書いてあるのかわからなかった。文体もコロコロ変わるし、話もなんの話をしていたのかわからなくなってくる。難解。そしてカオスすぎる。ヘミングウェイが「ユリシーズは作家の制約から僕たちを解放した。」と言っていた意味がなんなくわかった気がする。
2015/01/19
訪問者
久しぶりの再読であったが、流石に「18 ペネロペイア」は読み通すのに苦労した。アポストロフィもカンマもない文書は本当に読みにくい。モリーの意識の流れはエロチックで、最後のYESまでとても面白いのだが、結構辛い読書ではあった。
2023/04/26
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