S倉迷妄通信
S倉迷妄通信 / 感想・レビュー
rinakko
再読。猫騒動後のS倉市への引っ越しを経て、殺したいけれど殺さない…という、特定な相手のいない殺意を、主人公は持て余していた。誰なのかは判らない、ただ誰かを憎んでいる危ない状態が続いた。そして、神はもう死んでいるそんなことはわかっている、でも純粋に祈る場が必要なのだ…という「プチ信仰」についての言葉には切実さが強まっていく。その2つは何処かで繋がっていて切り離せない事柄なのだ…とあらためて思った。伴侶猫ドーラ、終の棲家を得たばかりの元野良のルウルウ、モイラ、ギドウ…の4匹が揃っている。飼い主の手を焼かせつつ
2016/10/17
kenitirokikuti
図書館にて。笙野氏が猫関係のトラブルのため池袋雑司ヶ谷から千葉県佐倉市の京成線沿い?に四猫と引っ越して半年後・一年後・一年半後に「すばる」に発表されたもの。「すばる」掲載ものの単行本は(2003年に飼い猫のうちモイラが死んだあと)『金毘羅』『成田参拝』。講談社学芸文庫『初期幻視小説集』(2020.11)書き下ろし「記憶カメラ」によるとその四猫は〈全て看取りおえ〉、〈現在は猫シェルターから老猫のピジョンを迎えて暮らしている。〉
2023/10/08
ndj.
郊外とは恐ろしいところだ…。二人前からしかパスタが出せないようなレストランなど滅びてしまえ。『金毘羅』くらいまでは読んでいたのだが久々の笙野頼子で混迷の度合いを深める一方の「迷妄」にくらくらしながら、そして、猫を飼うことはこれほどまでに大変なことか、とわたし自身これまで6匹の猫の面倒をみているはずなのだが驚嘆し、そのヒステリックなまでの愛情に胸が痛くなったりしながら、なんとか読了。「プチ信仰」の詳細にわれわれ読者が寄り添う意味は…、と問うのはおそらく、ナンセンスなのだろう。
2016/10/23
rinakko
再々読。いよいよ「プチ信仰」が入ってくる。個人が純粋にただ祈る。つまりそれは… “要するに単なる思い込みの神だ。全てのマイナスを「文学」故に起きる不幸として甘受するだけ。この神は頼れない。何か判断する時は神の名を呼んで自分で決めるだけ。” “一番大事な事は、結局そこにあるのがただ文学の神という言葉だけだという事を理解して覚めている事。” 自己救済のための妄想を現実に結びつけてくれる、完全な発狂を免れるための場所。その程度の生活必要グッズ、それが「プチ信仰」と。(めも 神の担当交替。化け猫ルル。
2019/09/29
まめみ
『愛別外猫雑記』の続編……とは少し違うか。今作は、罵詈雑言エッセイ(失礼)ではなく、心境小説となっている。しかし、なんというか、その……読んでいるうちに悪気にあたってしまうというか、精神を病んでしまいそうになる。ということは、私も異界に魅せられているということだろうか。う~む。とにかく、ニャンコたちの写真は可愛いので、読んでよかったということにしておきたい。
2012/09/05
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