中島敦 父から子への南洋だより
中島敦 父から子への南洋だより / 感想・レビュー
Gummo
昭和16年6月、南洋庁の国語教科書編修書記となった中島敦は、妻と子を残して単身、南洋群島へと旅立つ。教科書を改良するため、サイパンやパラオなどの島々を巡って、現地の国民学校(日本人児童の教育機関)や公学校(島民児童の教育機関)等を視察する日々の中で、中島は子供たちに宛てて多くの手紙や絵葉書を書き送っている。南洋の風物を紹介したものが多いが、珍しいものや面白いものを見た喜びや楽しさを子供たちと分かち合いたいという父親としての愛情が伝わってくるものばかりで微笑ましい。
2014/10/12
たくのみ
あの「李陵」「山月記」の中島敦が、出張先のパラオなどの南洋の植民地で 息子への愛をつづった「ラブレター」たち。「ヤップ島で食べたバナナはおいしかったぜ」「夏休みの宿題はちゃんとやってるかい、怠けちゃだめだよ」と実に筆まめ。小2と1歳の息子に送る短い手紙の中に 愛が溢れている。「この教育をすることが土人(島民)たちを不幸にする」 島を幸せにするためにやってきたはずが、絶望していくさまが最後に語られてる。無垢な手紙と絶望が、大日本帝国を告発しているように見えるのだ。
2014/03/25
なにょう
★中島敦さんが南方から家族に宛てた手紙・ハガキをまとめたもの。よく残ってたものだ。★昭和16年の夏から冬にかけて。この後、本土に戻って作品発表し、昭和17年の12月に亡くなった。33歳。自分の今の年齢だ。今、死ぬってなったらそら悔しい。★ハガキの中では南洋での生活の苦労と自然の豊かさが描かれる。暑いし、食べものは慣れないし。何より書物が無い!わかる。外国暮らしの大変さ。150810
2015/08/10
はなうさぎ
丁寧な字、言葉遣い、絵葉書の選び方…戦前のインテリってこういう感じだったのか、と思わされる。同時に、中島敦という人物がもっていたであろう色気も感じる。これは同性にも異性にもモテただろうな…。
2013/06/15
0717
パラオに赴任した中島敦が内地に残した子供、妻に宛てた書簡集。文章が良いことは言うまでもない。統治時代のパラオや南洋の様子もうかがい知れる。しかし、編集者は序文で植民地時代の反省のよすがにしろというが、中島敦の愛情ある書簡からどう反省しろと言うのかさっぱり分からない。
2014/02/10
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