偽善入門 (小学館文庫 こ 22-2)
偽善入門 (小学館文庫 こ 22-2) / 感想・レビュー
ばりぼー
一般的にはネガティブに捉えがちな「偽善」の正体を明らかにし、その有効性を薦めてくれる説教本(本来の意味です)。ちょうど夫婦喧嘩の直後だったので、冒頭の「末期症状が現われた男女」の例が見事に的を射ていて、お話が心に染みました。「いかにインチキが含まれた綺麗事であろうとも、その綺麗事が掲げられている分だけ、実際にそれはそれ相応に綺麗だ」「私たちの心は不純物でグラデーションになっているが、私たちの心は不完全である以上仕方のないこと、その純粋な数パーセントの善を育みなさい」…なるほど、肩の荷が下りました。
2015/04/15
団塊シニア
本書では「偽善を使いこなす」の項目での心のこもってない言葉で偽善と感じても恥ずかしさから脱皮し偽善のなかに含まれる純粋な成分が少しでもあったら強引でも優しくしてみることが、カップル、夫婦の間で必要なことであることを述べており、関係が近くなると相手に対しぞんざいになる傾向があることは確かであり筆者の意見には説得力がります。
2012/12/21
KAKAPO
>偽善の中に必ず数パーセント含まれる純粋な善が、自らの心に染み付き作用することによりまして、自らの心が善い方向へと組み変わっていく効果があるのです……。私たちは、ついつい、慈善を装ったように見える行為を非難してしまいがちですが、小池龍之介さんは、このように偽善の効能・効果を期待することで、いきなり到達することが難しい真の善を目指すことを奨めています。ですから偽善者のように見えないかな?なんて恐れずに、良いと思ったことは躊躇せず行いましょう。座禅のように先ず姿勢を正すことで、心が整ってくるのだと思います。
2019/02/09
白い駄洒落王
すべての善が偽善。全の比分が違うだけ。わかるようなわからないような。
2013/11/25
文章で飯を食う
タイトルに少し抵抗があり、長い間、積んでいた本。どうも「偽善」という言葉がいけないようだ。しかし、読んでみたら、偽善でも悪よりはまし。「偽善」のなかの「善」の純度を増して行けば良いとのこと。元々の仏道では「善」とは、「上手い」という意味で、「悪」とは「下手」という意味だとか。何の上手、下手かと言うと、心の使い方。心を平穏にするのが「善」で、波立たせるのが「悪」。偽善でも良いから、あえて実行し善の風味を味わうこと。善の純度を少しづつ上げていきましょう。
2018/02/13
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