卍(まんじ) (新潮文庫)
卍(まんじ) (新潮文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
物語は香櫨園に住む有閑階級の妻、園子が先生(谷崎)にことの顛末を、口語で語り聞かせるというスタイルをとる。当時の話し言葉であるだけに関西人以外(西日本の人はまだしも、東日本の人にはなおさら)には、きわめて読みにくいと思われる。しかも、内容もまた複雑に錯綜した愛欲と互いの嫉妬が描かれており、読者に与える感覚は、只管にねちねちと「ひつこい」(「しつこい」の関西方言)のである。当時は今よりも一層に反社会的なものと受け止められたであろうと想像される。これが昇華されて後年の『細雪』に結実してゆくのであるが。
2015/05/12
ykmmr (^_^)
作者はこの手の『小説』が得意と聞く。それを認めてしまうかもしれない。最初に一言。『痴人の愛』より、こちらの方が好きである。まあまあ、主人公(ヒロイン)の園子が、コテコテの関西節で、顛末を語るやり方どあるが、それにより、その事がカムフラージュ出来そうな空気がある。緩和されているのは事実と思う。今でいう、『メンヘラ』女の園子だから、あくまでも主観目線になりがちになると思うから、実は解釈が違うかもしれない。光子目線・孝太郎目線…それぞれあって良いのかもしれない。
2022/01/23
優希
濃密でした。関西弁で語られるからこその色気があります。絡まり合いながら堕ちていく女の愛に妖を見ているようでした。園子を惹きつけた光子の妖艶さは異性の愛人を虜にしているのみならず、園子にも情欲を抱かせる魔性を感じます。お互いを虜にし合った故に織り成されていく淫靡な美しさと狂気。愛によって狂っていく姿とその悲劇を耽美で生々しく描く世界は、恋愛小説の一つの形を生み出したようでした。ひたすら園子の語りで紡がれていくので、他の人の心が見えない怖さも秘めています。
2016/10/26
nobby
いつも家い来て「あてもうちゃあんと覚悟してるわ」一緒に死ぬ気イだと言うてましたのんに、これほんまに愛してる云う思てはったんのんか知らん?「何しろ事件があんまりこんがらがってて」 歪ながら難解かつ複雑さ極まるのはまさに『卍(まんじ)』の記号、いや万字の漢字の如く…冒頭からずっと続く園子の関西弁の独白が小気味よく心に響く。すると作者註なる補足で語り手を“未亡人”と表す衝撃が匂わす不穏…いつのまにか禁断の恋に溺れ、嫉妬にまみれ、虚言を弄して、奈落に堕ちる…それでも尚、恋しいて恋しいて…少なくとも僕には理解不能…
2022/07/23
扉のこちら側
2018年291冊め。女性二人の物語と思いきや、孝太郎と綿貫も絡んでタイトル通り卍模様の泥試合であった。嫉妬の恐ろしさは、「自分以外の他者のものにならないように」と歪んだ協定へたどり着く。『瘋癲老人日記』における片仮名文体もそうだが、この作品は関西弁だからこその、まとわりつくような何か湿り気を帯びた空気を醸し出すことに成功している。
2018/07/09
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