Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫)
Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫) / 感想・レビュー
zirou1984
再読。小林秀雄という批評家に付き纏う難解さのイメージは、彼が批評の対象にしてきたものの多くが戦前から戦後までの、高度経済成長によって喪われてきた文化であることが原因ではないだろうか。後期に行く程に文体が洗練され、明晰さが発揮されていく内容は時に驚く程言葉が透明に感じられていくのだ。本文でも批評家と詩人は言葉それ自体を扱うものとして同一であるとの旨があるのも理解できる。そして30当時の己の人生観について、直感と情熱を持って練り上げた「Xへの手紙」が持つ確信さには、完膚無きまでに言葉に殺されてしまったのだ。
2014/01/05
yumiha
若い頃に4冊ほど小林秀雄を読んだ記憶があるのだが、本そのものを紛失。そして読み直してみたら、本の内容の記憶までもがすっかり紛失していたことが判明(泣)読み直してもやっぱりナンカイ。今回の発見は、短編小説『からくり』(S5年)の「電気ブラン」。モリミー作品で初めてと思っていたので、ビックリだった。また評論の方は、断言が多く、あいまいな逃げ道を書いていないことを発見した。しかもその断言が、各段落の最初の一文にあると、少し理解できたような気になれた。好きな一文を拾い上げることができても、論そのものは難解(泣)
2016/05/03
しゅん
小林秀雄は「私批評」の人と言われるが、実際のところ小林の批評文に「私」の体験が書かれることってそんなになくないか?「様々なる意匠」でいかなる批評も自意識から切り離せないことを指摘しただけで、書き方自体は客観的な観察に基づいた思弁を主調としている。むしろ「私」の晒さなさがズルいとすら思う。「おふぇりあ遺文」の女性一人称のハムレットパロディが上手くいってると全く思えないのも、例えば太宰のような「私」巧者との鮮やかな対照を示している。でも「政治と文学」のような、過去と今の自分との距離を測る戦後の文章は好き。
2020/08/07
wadaya
本棚を整理してたら偶然見つけた。懐かしい。小林秀雄は現代文の教科書で読んだのが初めてだったような気がする。評論家じゃなくて哲学者だよなぁ。ニーチェやプルーストに多く触れている。やはり哲学というものは、必要な時に向こうからやって来る。表題の「Xへの手紙」は俺へのメッセージのようだ。書こうと思って書かれた小説や詩の氾濫に興味を失った今、俺の心に衝突してくる極めて稀な機会を求めて生きている。小林の言葉は人の思索がもうこれ以上登ることができない高みを見据えている。俺は時代を超えて確かに手紙を受け取った一人である。
2019/11/10
よしひろ
とりわけ、Xへの手紙に明らかだが、小林秀雄の文章は熱い。ここまで情熱迸るような文章を読んだのは久しぶりだった。作家や芸術家も、一般の庶民も、それぞれに違ったように生きていて、「数限りない些事や瞬間」の中に生きている。それを均してしまうものへの、本能的な反発が彼のなかにあったのだろうし、そこにとても惹かれるのだ。
2016/12/23
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