モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)
モオツァルト・無常という事 (新潮文庫) / 感想・レビュー
まふ
角川書店版で読む。ほぼ20年ぶり。独特の感性と魅力的な用語、不思議な言い回し…、なつかしい小林秀雄ワールドである。「スタンダールがモーツァルトの最初の心酔者、理解者の一人であった」ことに改めて感慨を覚えた。「スタンダールはモーツァルトの音楽を哀しさ(tristesse)志向としたもののロマン派音楽がおしなべてtristesseを濫用したため、スタンダールの存在が忘れ去られた」と嘆く。いずれにせよ「かなし」の音楽をアレグロで書いた作曲家はモーツァルトの後も先もいない、とする、が、これはどうかな?
2024/11/20
ヴェネツィア
筆者はモーツァルトのtristesseの典型例としてト短調クインテットK.516第1楽章Allegroの主題を提示(楽譜で)し、「モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」と語る。人口に膾炙したくだりだが、我々はここに、天才批評家、小林秀雄を発見する。そして批評という行為が、まさしく創作に他ならないことをも同時に知るのである。本書にはモーツァルトをこよなく愛した小林の慧眼を随所に見ることができる。例えば、ワーグナーのモーツァルトの主題論を受けて、それが驚くほどに短いものであることを指摘するなど。
2013/01/04
Mijas
「無常という事」が心に残っていたため手に取った。「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい。」いい文章に出会ったとき「絵巻物の残欠でも見る様な風」に心に浮かぶと言う。文学から音楽、絵画にいたるまでその芸術性の真髄が言葉で表現される。「西行」論では、花月を詠じていても西行の「いかにかすべき我心」の声が、「実朝」論では、実朝の哀しみが聴こえてくる。戦時中に書かれた文章と知ると、一層哀感が増す。実朝の「無垢な心」が乱世に引き摺られていく「かなしみ」。詞の微妙な動きは「人にはわからぬ心の嵐」。眼で聴く音楽のよう。
2017/04/07
zirou1984
批評というのは小説と同様、創作行為に他ならない。ただし小説では時に作者は物語の陰に隠れられるのに対して、批評において言葉は作者そのものであり、語るべき対象ですら自身を写す鏡という違いがある。だからこそ知性と意思によって磨き上げられた評論は、抜き身の刀と向き合う様なスリリングな興奮が味わえる。近代人の権化たる小林秀雄の語り口は個人的であると同時に社会性を帯びており、戦後最初に発表したモーツァルト論は彼による敗戦後論とも受け取れる。そう、彼の語るモーツァルトと同じく、小林秀雄もまた歩き方の達人であったのだ。
2014/01/08
koji
木田元「何もかも小林秀雄に教わった」に触発されて再読。昭和、平成、令和と読み続けた批評美学の金字塔です。特に「モオツァルト」の「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人(の)「かなし」という言葉の様にかなしい。」は何度読んでも震えがおきます。まさに美文家小林の真骨頂です。批評でありながら、ただただ文章を味わう喜びを感じます。お気に入りの文章をもう1つ。「命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ」
2019/07/09
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