サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)
サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
表題作『サド侯爵夫人』は、実に見事な戯曲。舞台に登場するのは、サド侯爵夫人をはじめとして女たちが6人。そして、サド本人はとうとう舞台に姿を見せることがない。それでいて、登場人物たちそれぞれのの行動を決定づけているのはサドなのだ。また、ルネの「悪の中から光を紡ぎ出し…」に代表されるように、セリフもすぐれて演劇的で、全編にわたって華麗な舞台を髣髴とさせるものである。一方の『わが友ヒットラー』は4人の男たちで演じられるが、こちらでは、一転してすべての中心にヒットラーがいる。どちらも極めてシニカルなお芝居だ。
2012/11/21
優希
面白かったです。三島の代表的戯曲が2編おさめられています。三島晩年の作というだけあり、最期のあり方をうっすらと思索していたような空気が感じられます。『サド侯爵夫人』は女性のみ、『わが友ヒットラー』は男性のみが登場するというのはかなり挑戦的ですね。善悪、白黒、生死といった逆説が成り立つ理論を織り込んでいるのは流石三島としか言えないです。小説が面白いのは既知でしたが、戯曲も捨て難いものがあります。新たな三島の顔を見たようでした。
2016/09/12
新地学@児童書病発動中
三島由紀夫の代表的な戯曲2編。華麗なレトリックを駆使して、色彩豊かな劇の世界を作り上げている。「わが友ヒットラー」は、ヒットラーが独で権力を掌握できた秘密を浮き彫りにする内容。「サド侯爵夫人」は、6人の女性の会話を通して、狂気に満ちたサドの人生に迫る。サドは登場しないのにサドの人生が浮かび上がってくる構造が面白い。この劇は一つの謎を観客に投げかけるのだが、答えははっきりしない。その曖昧さが、人間の心の不可解さに光を当てているような気がした。
2014/06/06
かみぶくろ
戯曲二本立て。「権力のもっとも深い実質は若者の筋肉だ。」三島らしくて思わずにやけてしまう。三島の過剰ともいえる装飾的な文章は、美しく仕立てられた舞台上でよく映える気がする。サド侯爵夫人の貞節は、人間の合理を越えた内発性に重きを置く造詣といえそう。世間の目など気にせず、夫の悪徳と貞節を守り続ける自分に酔い、解放された自由な夫は拒絶する。ある意味、心が赴くままに(無意識下での快楽を得るために)行動している。文脈は違えど、サド夫人の最後の拒絶は、豊穣の海で本多が突き付けられた世界からの拒絶に近しいものを感じた。
2015/12/26
Y2K☮
三島のシャドウが色濃く出た戯曲。憧れる悪の美学=同性愛も含む快楽の自由な追求をサドに投影し、本来の自分とは全く異なる形で成功を収めたヒットラーにマッチョに変貌した己を冷徹に重ねたのか。そう考えると「サド侯爵夫人」の結末が意味深。ヒットラーも最期は自殺。「憂国」以来の不気味な符合に慄く。あとヒットラーに関して興味深いのは、当初は周囲の操り人形だったこと。だが牢獄内にいるサドの思想が外で暮らす人々を縛った様に、彼もじわじわと立場を逆転していく。操っていた筈が操られていた。著者の晩年の主体性はどうだったのかな。
2017/01/16
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