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ぼくがしまうま語をしゃべった頃 (新潮文庫 た 47-3)

ぼくがしまうま語をしゃべった頃 (新潮文庫 た 47-3)

ぼくがしまうま語をしゃべった頃 (新潮文庫 た 47-3)

作家
高橋源一郎
出版社
新潮社
発売日
1989-06-01
ISBN
9784101078137
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ぼくがしまうま語をしゃべった頃 (新潮文庫 た 47-3) / 感想・レビュー

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メタボン

☆☆☆ 対談部分はひとりよがりな言説が多くつまらなかった。軽いエッセイが高橋源一郎の持ち味であり、文学をとても身近なものに感じさせてくれるようなエッセイがやはり面白い。

2019/05/06

田氏

カレーの話をしようと思う。それはぼくが昨日今日とカレーを食べたのもあるし、この本が34~5年寝かせたカレーだったからというのもある。作りたてのエッジイでスパイシーなカレーはナイスだし、寝かせて緩くぼやけたカレーもナイスだ。だけど高橋源一郎の仕込んだこれは、ぼくの人生くらい時間のたった今でも、ところどころスパイシーなのだ(たとえば「ドラマがタイトルで内容を全部説明するようになった」のと同じ現象が、今の小説でも起こっているように!)。じゃあそれが美味しいのかってのは、きみの好き好みであってぼくの問題じゃない。

2018/12/11

ちぇけら

ブンガクってなんだっけ。ショーセツってどんなものだっけ。ことばって?どんどんバラバラになっていく、思考、文豪から芸能人まで、ゲンイチローさんの口から語られると、それはブンガク、ショーセツになってしまう。めちゃくちゃ面白かった。

2018/08/07

Ichiro Toda

文学から芸能、漫画、そして対談まで様々な種類の文章が収録されている雑文集的エッセイ集。初期3部作についての言及があるものを特に興味深く読んだが、それ以外でも例えば芸能部分などはあまりに昔のこと過ぎて逆に新鮮に感じた。自分が生まれたくらいの話なのだが、今の芸能でここまで語ることがあるのかどうか疑わしいところもある。良くも悪くもエンターテイメントが限られていた時の思考だったり空気感だったりを感じて、うらやましくもありまた逆に今が面白く感じたりもする。短編な物が多く、ちょっとした時間に読めるのが良かった。

2015/11/18

Bartleby

「失語症のリハビリテーション」語ることはなくても語り口があれば語れてしまう。それを騒音としか感じれなくなった高橋さんは失語症に陥る。しかし10年間の沈黙の後再び文章を書き始めた。その理由を「生きていたかった」からだと説明するこのエッセイを読んで、高橋さんの文章を読む時にいつも感じることの原因が分かった。読んでいるときは、いつも少し自由になれる気がする。でも感想を書こうとするとうまく書けなくなる。それは彼の言葉に対して、もっともらしい語り口で応じてはいけないという思いが自分の中に生まれてくるからだ。

2012/06/14

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