カンガルー・ノート (新潮文庫)
カンガルー・ノート (新潮文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
安部公房最後の長編。奇妙な味わいの小説だ。最初にどの程度の構想を立てていたのかがまったくわからない。一種のロード・ノヴェルのようでもあるのだが、その行き先、あるいは次のステージさえどこに向かうのかわからない。そこに根源的な不安の本質があるのかも知れない。しかも、常に死の影が付き纏う。また、賽の河原の場面あたりからは、寺山との相通性も感じさせる。荒涼としたイメージにおいてもそうだし、また演劇的であるということにおいても。しかも、それはフリークじみたお芝居なのだ。そして、読後にはなんとも哀しい寂寥感が残る。
2014/05/28
新地学@児童書病発動中
安倍公房最後の長編。足にカイワレ大根が生えていることに気づいた主人公は慌てて皮膚科に飛び込む。その後は坑道から運河へ、運河から賽の河原へシュールな旅を続ける。前衛的な小説で作者の言いたいことは分かりずらい。それでも奇想天外な出来事が次々と起こるプロットは面白い。これを書いた時、作者は病床にあったそうだ。死に対する諦観と生きたいというあがきが行間から滲み出ている気がした。それでも暗さの中に乾いたユーモアがある。感傷的にならずに、死を対象化して独創的な小説を作り上げた作家としての生き様は、素晴らしい。
2014/06/01
takaichiro
たまに読みたくなる「世界のKOBO」。砂の女、箱男は何とか「面白い」との読後感を得たが、本作は斬新すぎて胃もたれ。町田康のパンクセンスにも通じる世界観。そもそも脛にカイワレ大根が自生するってどんな設定なの。この手の作品は頭から理解しようとせず、言いたいのに言葉にならない、あの心の中のザワザワ感みたいなものを敢えて楽しむ位の姿勢で臨むのが正解かも。そう思いもう一回さっと読み直してみる。極めてバカバカしいとはどういうことか、試しに小説にしたらこうなった。KOBOの最後の長編からそんなメッセージを読み取った。
2020/01/22
優希
安部公房、最後の長編です。とあるきっかけで地獄めぐりをするという突飛な物語に笑えました。しかもその理由が脛からカイワレ大根が生えてきたからという何とも言えないおかしさ。男を乗せたベッドは何処に辿り着くのかが語られていますが、間違いなくそれは死へと向かう道。想像を絶する面白さながら、ブラックジョークや皮肉、不安を煽るような要素も入っており、単なるブラックユーモアに終わらせていないところが凄いところです。シンプルながら不思議な世界。面白かったです。
2016/08/29
masa
ある朝、僕の脛から《かいわれ大根》が生えてきたら、君は食べてくれるかい?それとも暴走ベッドに括りつけて病棟をたらいまわしの地獄めぐりツアーへと歓送するかい?自給自足の野菜生活は嘔吐を誘う閉塞生態系。死と治療のどちらが人間性を取り戻すことなのか。尊厳を破壊する生命維持装置のスイッチを探る。「カンガルー・ノートはデスノートだわ」と看護婦がいう。ならば僕はそこに自分の名前を確認したい。いたずらに死を恐れずにいられるように。なのにピンク・フロイドが空耳から狂気を垂れ流す。「誰もわたしに子守歌を唄ってくれない」と。
2019/09/20
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