燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)
燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
第1部で動き出した壮大な物語が、ここ第2部では”静”の様相を帯びる。内部に沈静化された魂の物語となっていくのだ。中期以降の大江の作品では作家自身が物語の語り手となっていたのだが、この3部作では、サッチャンが語り手となり、大江自身はK伯父さんとして客体化されて語られている。そうした「話法」の転換も、一層この物語の立体的な構造化に成功をもたらしているようだ。主題は、ますます「魂のこと」へと急傾斜してゆくが、この第2部の最終章は不穏な気配のままに終息する。この後に語られるのは、はたして恩寵の物語なのか。
2012/12/23
かみぶくろ
この巻において作者(の分身である登場人物)が示す世界認識が、とても美しくて感動した。我々が死んだあとも続いていく「永遠」に均衡しうるもの。それは「一瞬よりはいくらか長く続く間」の、魂に刻まれる光景であると作者は語る。それは信号待ちで眺めるメープルシュガーの色づく葉であったり、夫婦で朝の木々を眺めることだったり、清流で百尾のウグイが泳ぐ様子だったりする。そして、それら個々の光景や認識は、全体=世界へと確かに繋がっている。真摯に「魂のこと」に取り組んでいる、素晴らしい作品だと思う。
2019/11/04
Gotoran
本書第二部では、宗教集団がイェーツの詩の世界観の象徴である「燃えあがる緑の木」のもとに集まり、祈りの意味を見出すまでの歩みが描かれている。ギー兄さんの教会には新しい仲間が次々に加わり、教会は栄える。そんな中、著者もK伯父として息子ヒカルとともに登場し、「魂のこと」という主題との関係性を明らかにしている。アイルランドの詩人イェーツの詩を多く引用して、その言葉が思想のベースになっていく過程が非常に興味深かった。
2022/12/15
燃えつきた棒
読んでいて、なんだか、いつまでたっても一向にモグラの現れないモグラ叩きをやっているような気がした。憎っくき「宗教」がいつ現れるかと身構えているのに、いくら待ってもそれは一向にその姿を現さない。 教祖のいない宗教、教義の無い宗教、「空っぽの箱」?「ギー兄さん」たちの教会に、何故人々が集まるのか、僕には全く理解できない。 また、タイトルの「燃えあがる緑の木」は、あくまでもアイルランドの土に根付いた固有種であって、土壌の異なる四国の森の奥深くにはなかなか根付かないのではないだろうか。そんな気がして仕方がない。
2019/10/02
ちぇけら
「《死者と共に生きよ。》」魂が時を越え生と死をつなぐ感覚。機は熟した。信仰する神を持たぬ教会にふくらむ漠然とした「祈り」のイメージが、「祈り」の言葉となりギー兄さんによって説教として語られるとき、あらゆる一瞬が永遠に組み込まれていくような感覚につつまれる。全体をとおして、大きな跳躍を予感させる糾弾ののちの静寂、あるいは総領事の死に向かう過程と、その死ををとりまく「集中」の結晶とでも言うべき荘厳さに満ちあふれた第二部だった。ギー兄さんたちの教会がもたらすのは「救い」なのだろうか。終盤は不穏な空気。第三部へ。
2019/11/30
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