峠(下) (新潮文庫)
峠(下) (新潮文庫) / 感想・レビュー
修一朗
戊辰戦争最大の激戦,北越戦争とはなんだったのかを問う下巻だ。ガトリング砲の使用もさることながら,官軍が攻め上がってくる地政学上の事情,中立交渉の決裂,様々な事態が組み合ってあのような燦燦たる戦争になったのだ。継之助は官軍に降ることを潔しとせず,二分していた藩論をぎりっとまとめ,結果長岡藩とその民を戦禍に巻き込んだ。後世の地元での評価は分かれている。最期まで自分の哲学を貫いた継之助,圧巻の北越戦争記だ。
2020/03/26
yoshida
戊辰戦争の北越戦線。この作品で興味深く知ることが出来た。小藩である長岡藩。河井継之助という英雄が幕末の激動期に存在したことは、この藩にとって、この藩に住む人々にとって幸福であったのか。実際に史料を見たり、当時の人々の声を知らねば分からない。長岡に住む人々は戦火の被害を受けた。しかし、河井継之助のもとで長岡藩は官軍を圧した。西郷隆盛には戊辰の関ヶ原と言わしめた。長岡の人々が受けた辛酸は苦しい。だが、長岡の放った光は歴史に輝く。河井継之助という人物も評価が分かれると思う。だが英雄という評価は揺るがない。力作。
2019/12/07
koji
著者は、この長い物語の目的は、侍を考える事と言い、日本人がうみだした侍(サムライ)を、世界は「類型のない美的人間」と珍しがり、明治後のカッコワルイ日本人が「自己嫌悪から自信を回復させる」ものと迄言い切ります。あぁ、何という慧眼。2022年、サッカーW杯でサムライブルーが躍動した時、同じ事を世界が、日本が思いました。継之助が長岡の地を駆け散ってから154年、堂安が、浅野が、三苫がカタールの地を駆けました。毀誉褒貶サマザマあれど、一人の人間として見た時、継之助はサムライでした。そのイキザマは今も残っています
2022/12/28
mura_ユル活動
「よろしく公論を百年の後に俟って玉砕せんのみ」河井さん、大丈夫です。私は少なくともこの書物によって、正の判断をします。下巻は一気読みでした。何が良い悪いということはない。
2014/05/04
アキ
武力を後ろ盾に中立国として、薩長を中心とする西軍と会津を中心とした奥州列藩同盟との間に調停役を果たす。河合継之助の構想とそれに向けての行動力は時代の先を行くものであったが、わずか7万4千石の長岡藩の武士がそれを成すには役不足であった。薩摩にはイギリスが、幕府にはフランスが、そして奥州列藩同盟にはアメリカがついてその動向を見守っていた。藩主をフランスのナポレオン3世に親書を書き、パリに逃す計画にも驚かされる。新政府軍は外交交渉をする程のまとまりはなく、北越戦争は侍として散る思想としての戦いであったのである。
2022/08/31
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