知的唯仏論: マンガから知の最前線まで-ブッダの思想を現代に問う (新潮文庫 み 57-1)
知的唯仏論: マンガから知の最前線まで-ブッダの思想を現代に問う (新潮文庫 み 57-1) / 感想・レビュー
さらば火野正平・寺
以前、呉智英の『つぎはぎ仏教入門』を読んで相当面白かった。また以前、宮崎哲弥の対談集『仏教倫理問答』を読んで難し過ぎて途中で投げ出した(笑)。そんな二人の仏教対談。やはり呉の話の方が面白く分かりやすい。しかし7割は宮崎が喋っており、呉は聞き手と言って良い。宮崎は仏教知識を総動員しており、原典や読了本の引用を次々繰り出す。無礼な言い方をすれば、宮崎が「駅の名前を全部言えるガキ」(by三代目魚武濱田成夫)に思えなくもない。私自身は自分を漫然と仏教の徒だと思っていたが、それは長年の誤解かも知れないと思った。
2015/12/06
yutaro13
呉智英『つぎはぎ仏教入門』の刊行は2011年。当時それを読んだ私は「仏教は本来「無我」を説く宗教であり、だからこそ仏教は自我の時代(つまり現代)の病理を指摘することができるという。なるほど。」などと記載しているが、仏教に興味を持ったのはごく最近のこと。なるほど、じゃないわな。本書はそんな2011年の対談本。宮崎氏が仏教に関する圧倒的知識量を武器に、ときに対談の場が独壇場と化す構図は他書と同じ。本書の白眉は冒頭の漫画対談ではないか。漫画が専門の呉氏はともかく、宮崎氏が宗教漫画にも詳しいことに驚かされる。
2020/12/31
ねこさん
仏教の対機性を考えれば、両氏ともに個々の実存苦を語ることはしないため、物足りなさが残るが興味深い話が多い。しかし例えば「やることをやって生きていくと(中略)そんなに死が怖くなくなってくる」と老死についての私見を一般論のように語るような、乱暴さも散見される。欲得を肥大化させられ「やること」を「やっている」実感が遠ざかっているのが現代であって、言語によって対象化された事象に対する条件反射的な意識のふるまい方を解除し、今ここにある生と、死を内在させた身心を再獲得するために仏教が有効だと、個人的には感じている。
2017/11/26
ねこさん
バルトのエクリチュールと、釈尊が行った悟りに至る内観としての十二支縁起について並行して考察している中、機宜を得たという印象。以前から感じていた禅や武道への本当に微かな懐疑が身体性に依拠していたことを知る事ができたことも大きいが、中観派への理解を深めたいと改めて感じたと共に、自分は仏教徒と呼べるのかどうかを考える契機となった。全体に拈堤すべき内容が散りばめられいるにも関わらず、急いで読んでしまったことが悔やまれる。あとがきにあった吉村均氏の「神と仏の倫理思想」における十二支縁起についての引用が興味深い。
2017/02/14
おおにし
宮崎哲弥さんのように、仏教思想を信仰と切り離した外部の視点で研究する仏教研究者がもっと増えてもいいだろう。私も老後の楽しみにと取っておいた仏教学の勉強をそろそろ始めたいと思う。手始めにこの対談にでてきた数々の仏教用語の理解から始めてみる。
2017/09/17
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