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オリンピア1996 冠〈廃墟の光〉 (新潮文庫)

オリンピア1996 冠〈廃墟の光〉 (新潮文庫)

オリンピア1996 冠〈廃墟の光〉 (新潮文庫)

作家
沢木耕太郎
出版社
新潮社
発売日
2021-05-28
ISBN
9784101235271
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オリンピア1996 冠〈廃墟の光〉 (新潮文庫) / 感想・レビュー

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keroppi

「オリンピア1936ナチスの森で」と一緒に図書館の新刊コーナーで借りてきた。商業主義となった1996年のアトランタオリンピックを現地で取材する。飲み物はコカコーラしかないのに抵抗し、飲まないと誓う。その現地ルポは、いろんな意味で実に面白い。スポーツの理想を求める沢木さんは、オリンピックは滅ぶと言う。冠をコロナと呼んだタイトルの意味は後書きにあるが、今見ると何と意味深なこと。文庫版の後書の最後に「七月、東京が、別のかたちで「死の街」のようにならないことを祈っている。」とある。

2021/06/23

マリリン

取材旅行記としても興味深く面白かった。だがそれ以上に微妙な違和感を感じる「今」に突き付けたかのような言葉は辛辣であるが必要。違和感は漠然とあったが、沢木氏だからこそ書ける原点と本来の意義から離れていったオリンピック。堕落した感は否めないし今回の開催にも疑問を持つが、真摯に戦う選手の気持ちを削ぐような事は言いたくない。アトランタ女子走り高跳びのコスタディノワ選手の鍛え抜かれた肢体がバーを越える姿が脳裏に浮かぶ。 今回は結果と動画しかみていないが、女子100Hや特に1500Mは感動した。卓球の混合ダブルスも。

2021/08/05

Y2K☮

心地良い辛口。近代オリンピックの堕落っぷりに対して忖度ゼロ。アマチュアから栄光の場を奪ったプロ選手や欲に溺れたメダリストにも容赦なし。これを連載させた「number」も大したタマだ。コロナ禍がなければ本書も著者も非国民扱いだったかもしれないが事実は事実。銭ゲバ五輪の風潮はいまさら元には戻るまい。ならば古代オリンピックのように滅びへの道を辿ればいい。とりあえず東京五輪は一切見ない。プロ野球の練習試合とプロレスで事足りている。あと東京はアトランタほど治安の悪い町ではないが、それでも期間中のテロリズムに要警戒。

2021/07/14

tomi

1996年開催のアトランタ五輪のルポ。開会式でのサマランチ会長の空疎な演説とコケ威しの演出。バスケットボールの米ドリームチームやカール・ルイスへの嫌悪感。バレーボールチームの時代遅れのスパルタ練習。銅に終わっても楽しそうな有森裕子への違和感。商業主義に堕した大会を取材する著者の眼差しはなかなかに辛辣。閉会式で「外見的には華やかだが内実の欠けたオリンピック」と総括する。この大会からもう30年近い。相変わらず商業優先の東京五輪のドタバタを見るにつけ、もうオリンピックの終焉が近いのかもしれない。

2022/10/14

ポン

過去に発刊された作品の文庫本化ですが、『冠(コロナ)』に『廃墟』。偶然にも暗示的な言葉が並びます。沢木耕太郎さんが、どんどん突き進んでいく今回のオリンピアにどう向き合われるのか興味津々です。ある意味歴史的なオリンピアになるのかもしれません。

2021/06/10

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