母の恋文: 谷川徹三・多喜子の手紙 (新潮文庫 た 60-1)
母の恋文: 谷川徹三・多喜子の手紙 (新潮文庫 た 60-1) / 感想・レビュー
駄目男
現代でも純愛という言葉が生きているかどうか知らないが、大正の昔、意志の伝達が殆ど手紙という手段しかないとなると、それこそ、郷ひろみではないが「会えない時間が愛育てるのさ」という言葉がピッタリで私もその点、よく理解できる。まず、谷川徹三・多喜子とは誰か、息子が詩人の谷川俊太郎と言えば分かるか。二人の往復書簡、大正10年6月から12年7月まで延べ537通!もう、気が狂うわんばかりに慕い、逢瀬が待ち遠しいとクドイほどに書かれている。 今、別れたばかりなのに、もう会いたい。その死が二人を分かつまで純愛を貫いた妻。
2018/01/15
やまやま
当時の若者も今と変わらないのねーと親近感でした。彼女と初ナントカとか、応援しながら読んでました。当時は郵便の本数も多いし、メール感覚なんですね
2012/07/24
R
何ともいへない不思議な心持、なんといったらいゝでせう。幸福な悩ましさ、悩ましい幸福、ーーそれでもいけない、一言にいってしまへえば、要するに、 あなたにあひたいのです。
2020/09/14
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