地の果て至上の時 (新潮文庫 な 11-3)
地の果て至上の時 (新潮文庫 な 11-3) / 感想・レビュー
やいっち
見えざる差別との不毛な、しかし逃れようのない戦い。その血脈を背負って生まれたというだけで、無方向な情念は行き場を失い、強姦と暴力との応酬という縮小再生産の世界に嵌ってしまう。 本書では、何度かの火事の場面が登場する。誰が火を点けたのか。一切を清算してしまいたいという止みがたい情念の結果なのか。暗い歴史の傷を刻まれた土地は、中央資本のカネが入り込むことで、一切の人間的脈絡など頓着せず、更地にされてしまう。声が消されてしまう。
2019/07/01
スミス市松
どんな言葉を以てしても形容し難い。たとえばこの小説は天皇の言葉の支配を食い破るための「事物と言葉が一致した」語り口であるとか、「父殺し」という枠内であらゆる物語を脱臼・切断・破砕してしまうポスト・モダン状況を捉えているとか、そういうことは実際どうでもよい。そんなことをいちいち考えずとも、この小説が非常に複雑で高密度でありながら紛れもない「路地」の記憶であること、完膚なきまでに物語を自壊させながら絶対に物語が必要な人々に向けて語られていること、つまりこの小説が「生きている」ことは読んでみれば分かるのである。
2012/03/03
たけひと
本当に読みづらく、何度も行きつ戻りつ時間をかけて読み終えた。しかし、この毒のような麻薬のような読み心地がページを捲る手を止まらせない。土と草木と血と汗と体液の匂いが鼻腔をくすぐり、口腔が常に酢い唾液に浸されているような読感、たまらない。この三部作の主人公は秋幸だが、私は浜村龍造サーガとしか思えない。これ程憎悪しながら思慕してしまう人物に小説の中で出会ったことはない。日本近代文学の極北という解説者の評が優れて的を得ていると思う。未開の地を踏破した様な充実した気分になる。
2018/09/01
シッダ@涅槃
決して読みやすい本ではないし、この小説の魅力をどう語ればいいかわからない。ただ一日10ページほどだったが、読んでいる間幸せだったことは記しておきたい。浜村孫一だのジンギスカンだのと何度も語られていても苦にならない。「おうよ」、「~じゃさか」というセリフは、読んでいる期間中、頭のなかをなんどもリフレインした。再度強調するが「岬」「枯木灘」と本書とこの夏から秋にかけて読むことが出来たのは幸福だった。
2014/10/12
東京湾
路地の消滅。父系の自壊。巡る因縁の果て。三年の刑期を経て新宮に戻った二十九歳の秋幸は、そこで全てが変わってしまったことを知る。土地の呪縛と血脈の愛憎に取り憑かれ彷徨う秋幸の行く末は。壮絶なる血の業が物語を脈動させる、秋幸三部作完結篇。「岬」「枯木灘」とはまた異なる荒涼とした空気が本作には流れている。土地開発の利益を巡り対立する同胞、浮浪者となった路地の人々、新興宗教を狂信する老婆達、「孫一」や「ジンギスカン」の系譜を騙る権力者。あらゆる混迷の只中で、孤独に父・龍造と対峙する秋幸。しかし父すら変わり果てて。
2022/06/06
感想・レビューをもっと見る