一月物語 (新潮文庫 ひ 18-2)
一月物語 (新潮文庫 ひ 18-2) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
発端から入眠までは、明らかに鏡花の『高野聖』を想起させる。作家本人もそのことは強く意識していたに違いない。物語は、その後も一貫して鏡花の世界を髣髴とさせる。鏡花文学の遺髪を継いだといっても過言ではない。ただし、物語の基本構造は荘子の「胡蝶の夢」だ。それが作品世界の随所に玄妙に揺曳する。また、平野は時には三島ばりの文体を閃かせてみせたりもする。それもまた作家の意識のうちにあったと思われる。そして、高子の名から連想されるのは『伊勢物語』に描かれた、二条后高子だ。主人公にとっては永遠に閉ざされていた存在である。
2014/08/09
かんらんしゃ🎡
★上田秋成の雨月物語。これ、ウゲツとよむ。ウヅキと読んでは恥かくぜ。それじゃ官能物語になっちまう。これはイチゲツだ。雨月をもじったに違いない。★漢字は難しく、漢検1級か明治の文豪級の器量じゃなきゃ苦労する。文章は古風ながら、馴染めば美しさに惹かれていく。★紀伊山中で蛇にかまれて寺に運び込まれる。噛まれた足がうずき、ここはウズキでいいんだぜ、幽玄をさまよう。目に見るものは幻想的で、感じるのは怪しげな力、言葉におこすとタナトスだ。これは怨念か? 蛇の怨念か? あ、そこに蛇がおんねん。
2021/06/05
*maru*
平野さん5冊目。真拆青年が旅先で出逢う人々。様々な出来事。すべてが夢のようで、すべてが現のようで、いや、もしかしたらすべて幻なのかもしれない。あの老爺も、あの老僧も、あの女将も。日傘の女や蝴蝶だって。ホトトギスの鳴き声や傷の疼きも。淫らな夢も。そう、真拆青年さえも…。古風で小難しい文体なのに読み口はとても柔らかい。そしてとても艶かしい。幻想と官能はやはり相性が良い。「いかなる言葉も、自然の最も深遠な美に到達した瞬間には、悉く無力となるであろう」。恐ろしくも、儚く美しい、素晴らしい作品だった。
2019/01/26
阿呆った(旧・ことうら)
擬古文を採用していて、読みにくさはあるが、あらすじや表現には、泉鏡花の『高野聖』のような幽玄美がある。それにとどまらず、デカルト以降、西洋思想の物心二元論の限界(自我と物体は独立した別物という考えの限界)が、作品の中で表現されている。★泉鏡花好き、哲学好き、日本古典好きの人におすすめ。
2017/02/04
エドワード
大和と紀伊に連なる山々は、都近くあれども、今尚人を容易に寄せ付けぬ秘境だ。私も曾てこの地に旅し、果てしない緑の魔界に畏れを抱いた。毒蛇に冒された旅人、井原真折(字が出ないのが哀しい)は山寺の和尚に救われ、治癒するまで寺に逗留する。深山幽谷の描写は漱石の「草枕」のごとし。彼は白昼夢の中に若き女の姿を見る。於乎、夢か現か。現し世は夢、夜の夢こそまこと。旅籠の女将の語る女の真相や如何に。江戸川乱歩から乾禄郎、朝吹真理子まで、物書きは皆夢の虜だ。さながら能楽の体の本作もその系譜。漢字が多い所も又漱石のごとしだ。
2013/09/22
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