顔のない裸体たち (新潮文庫)
顔のない裸体たち (新潮文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
平野啓一郎は2作目だが、以前に読んだデビュー作の『葬送』とは文体、テーマともに大きく違っており、別の作家かと思うくらいだ。本作においては、主人公2人を徹底して突き放して描いており、そこに作家的共感といったものは全くと言っていいほど見られない。いわば新自然主義といった趣きだ。いわゆる「出会い系」サイトで知り合った、ミッキーとミッチーそれぞれの匿名性と実体としての自分との乖離、やがてはそこに飲み込まれていく自我を描く。ここでは生身の肉体もモノであるかのようだし、またそこにバーチャル空間の不毛を描き出していく。
2014/06/06
ナマアタタカイカタタタキキ
実生活とは一切無関係な〈無記名〉の異性と寝たい──という衝動に駆られたとする。冷静に考えてみると、その欲求の根源とは、己の内側から発露したものであるにもかかわらず、実に不可解なものである。その人はその時、一体何と交わろうと欲しているのだろうか。偶像に触れたがっているのだろうか。そうではなく、単に異性を触媒にして、自分自身を凝視したいだけなのだろうか。求めている〈無記名〉の対象が、実は二人称単数形ではない可能性だって大いに考えられるのだ。そして、自分が相手の名前や顔をまともに認識しないのと同様に、そんな→
2021/10/12
まさきち
ごくごく平凡で目立たぬ中学教師の〈ミッキー〉こと〈吉田希美子〉があるきっかけで出会い系サイトを通じて〈ミッチー〉こと〈片原盈〉と繋がり、性的な世界に溺れていく。そしてその度合いと共に過激さを増し、最後には事件へと発展し、全てを失う。その過程を分析的なものをあまり挟まず淡々と記した印象。題名に期待していただけに少々拍子抜けの感を抱きながらの読了です。
2023/12/15
ゆのん
平野啓一郎の作品は3作目となる。その中でも頁数の少ない作品だったが内容は過激。どこにでも居そうな普通の男女が犯罪を犯すというものだが、その犯罪も過激だが、犯罪に至るまでの過程での精神状態の変化が平野啓一郎らしいタッチで描かれている。本作には投稿サイトや出会い系サイトが登場する。今やSNSやブログなど何かしら一つは利用している人が殆どだろうが写真や動画を載せたりする事の危険性の警告でもあるのではないか。35
2020/02/04
Vakira
♪ミスターグッドバーのダイアンのようにさ~♪昼はお堅い仕事で~日の暮れは娼婦さ~♪もう30年ぐらい前の柳ジョージ&レイニーウッドが歌う「チャイニーズ・クィーン」って歌が蘇った。歌の元はダイアン・レイン主演の映画「ミスター・グッドバーを探して」。ダイアン扮する昼は幸薄女性教師サラ、夜はミスターグッドバー(理想的な男性⇒棒状の物⇒男性自身)を探しまくり、やがて麻薬とセックスに溺れていくっといった物語。この本、一寸類似感覚。あまり目立たない少女時代を過ごし、中学教師となった女性のネット世界で衝撃変身デビュー物語
2022/02/23
感想・レビューをもっと見る