KADOKAWA Group

Facebook X(旧Twitter) LINE はてブ Instagram Pinterest

葉桜の日 (新潮文庫 さ 27-2)

葉桜の日 (新潮文庫 さ 27-2)

葉桜の日 (新潮文庫 さ 27-2)

作家
鷺沢萠
出版社
新潮社
発売日
1993-10-01
ISBN
9784101325125
amazonで購入する Kindle版を購入する

葉桜の日 (新潮文庫 さ 27-2) / 感想・レビュー

powerd by 読書メーター

ヴェネツィア

文章には所々アマチュアめいたところも残るが、統体としては、才能に溢れた表現がここにはある。しかも、小説の全身から鮮烈な飛沫が舞い落ちてくるようなそれである。出生からアイデンティティを喪くしていたジョージ。そして、それを自ら捨てた志賀さんやおじい。捨てたというよりは、彼らの中では捨てることを余儀なくされたのだろう。小説は読み進めるほどに暗く、哀しみがその影を濃くしてゆく。そして、その哀しみのリアリティこそが鷺沢に突きつけられたアイデンティティではなかったか。鷺沢はそれに一人で向かっていこうとしたのである。

2018/01/30

新地学@児童書病発動中

鷺沢さんの書く小説は本当に素晴らしい。私の好きなチェーホフに似ている気がする。人間が自分ではどうすることもできない生きる哀しみをひたすら凝視して描き上げられた物語は心を激しく揺さぶる。「葉桜の日」では19歳の青年が自分とは何かという問いに直面し、育ての親の哀しい過去を知る。彼ができることは少ない。それでも彼は自分の人生を続けるしかないのだ。物語の背景に使われる葉桜の緑が、心に沁みる。「果実の舟を川に流して」は詩的な題名からして素晴らしい。日々に流されて生きるしない普通の人々の哀感が、鮮やかに描かれている。

2017/05/07

(C17H26O4)

自分では決めることのできない出自や肉親の死。そんな中でも選択できたかもしれなかった違う道。諦めのような後悔のような羨みのような、割り切れない気持ちを抱える青年。でも敢えてそこに踏み込まず、ある意味自分を守る。立ち向かえば立派というわけでもない。自分は本当は誰なんだろう、ふとよぎることがあってもいい。仕方ない、と受け入れて生きる、それもまた一つの強さだろう。『葉桜の日』『果実の舟を川に流して』さり気ないタイトルだと思う。言葉で表しにくい曖昧に漂う気持ちを掬うのが本当に上手かった作家だと思う。

2018/09/20

太田青磁

「僕はホントは誰なんだろうね?」「みんな同じさあ。みんな、自分が誰かなんて判っちゃいねえよ」ジョージとおじいの掛け合いに、腹の底に感じる熱いものに、息苦しさを感じます。「怖いこと、志賀さん、いっぱいあるよ。怖いことばっかだよ。でも、それでいいじゃない……」「嘘ついたって、いいじゃない……」怖さと向き合う何かを得るために、ジョージはなにを思い、何を感じたのだろう。葉は枝いっぱいに繁ってやがて散る。それでも春になれば裸木はまた新しい花を咲かせるのだ。-うまくいくことなんて、なかなかないね、心に痛切に響きます。

2019/04/11

メタボン

☆☆☆☆ 表題作のジョージ(養母である志賀さんに育てられたが、在日の出自の複雑性もあり志賀さんは実母であった)、「果実の舟を川に流して」の健次(男のママが営むバーで働く)、ともにナイーブな青年のアイデンティティを鋭く洞察しており、とても20歳、21歳の時に書かれた作品とは思えない完成度、深みのある作品。本当に惜しまれる作家だと思う。

2023/02/19

感想・レビューをもっと見る