ケナリも花、サクラも花 (新潮文庫 さ 27-3)
ケナリも花、サクラも花 (新潮文庫 さ 27-3) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
韓国人の血を4分の1受け継ぐことを20歳過ぎてから知った鷺沢萌さんが、延世大学語学堂に半年間留学し、その間に感じたことや考えた(考えさせられた)ことを綴った留学記。彼女はそこで在日の留学生たちと出会い、深く共感する。延世大に留学していた彼女たち(男性もいるが)は、日本にいるときも日本人でもなく、また韓国にいても韓国人ではない。すなわち、永遠に僑胞(キョッポ)なのだ。彼らは明るいのだが、その喪失感はいかばかりかと思う。本書が一番伝えたかったのは、そのことではないだろうか。デラシネの僑胞と鷺沢萌という自分。
2018/03/04
ann
こんなにも自分の出自に真摯に向き合い続けて、二つの祖国の間でアイデンティティを考え続けて、二十代半ばでこんなにたくさんの経験値を積んできた人だったとは。僑胞(キョッポ)という言葉を初めて知ったのがずっと昔、サザンの「LOVE KOREA」という曲で。意味を知ったのはそれから何十年後の本作の中で。作家が亡くなって約二十年。今の彼女ならどんなエッセイを書くのか。ほんとうに惜しい才能。
2023/02/25
メタボン
☆☆☆☆ 感受性の強さなのか、序章「コンブハゲッソヨ」から第1章「苛々している」にかけて、韓国留学の準備の中でうまくいかないことがあるたびに「サワサワが来た」と言っていら立っている鷺沢萌の姿が、後の自死を彷彿とさせていたたまれない。僑胞(キョッポ)という言葉を初めて知った。鷺沢自体は韓国人の祖母を持つクオーターであるが、それを意識したのは二十歳以降であり、同世代の在日三世である僑胞達とは境遇が違う。しかし友人として親しく交わるうちに、そのアイデンティティについて洞察していく過程が良かった。表題が秀逸。
2022/07/21
あつひめ
鷺沢さんの体の中に流れている「血」は韓国の歴史を汲む「血」と日本の歴史を汲む「血」。日常生活ではそんな事忘れてしまう事もあったかもしれない。でも、心の奥底では、自分がいったい何者なのか・・・と悶々としている。「サワサワが来た!!」はその悶々として不安定な時に現れる心の叫び・・・。今でこそ韓国ドラマやサッカーワールドカップなどで日本人が韓国に対して、また韓国が日本人に対して心の扉を開け始めているけれど、過去の重いできごとはきっと消え去る事はないのだろう。
2010/07/01
背番号10@せばてん。
1997年6月3日読了。桜の季節に入力。(2019年4月2日入力)
1997/06/03
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