二百回忌 (新潮文庫 し 41-1)
二百回忌 (新潮文庫 し 41-1) / 感想・レビュー
はらぺこ
短編集。「日本のマジック・リアリズムと純文学のエキスが凝縮された芥川賞作家の傑作集」って事らしい。 こういう夢のような妄想のような訳の分からん話は嫌いじゃないんですが、これは短編やのに長く感じたので自分には合わなかったようです。途中までは「これは何やろ?」って思って結構楽しんで読んでるんですが、途中からは「もうええねん。長いわ」って感じで飽きてました。なので半分か3分の2ぐらいのボリュームなら嫌いじゃなかったと思います。
2013/05/12
i-miya
(解説=巽孝之) 1993夏、死体人形小説『硝子生命論』で知った名前、笙野頼子。アメリカの新しい実験小説。作家、ウィリアム・ギブスンらのサイバーパンク、ナノテクSF、ピグマリオン小説など。サイボーグ・フェミニズム思想。80年代とはウマがあわなかった笙野、90年代こそその時代。地霊というよりも土地と人間が混ざり合った何者か(キメラ)を好んで描く笙野。94年発表の傑作スカトロジー小説『アケボノノ帯』の龍子。
2011/06/13
taku
「アケボノノ帯」が気に入った。少女は即身成仏。排泄の悟りを開いた排泄三千世界の釈迦。排泄は生きてる以上必須の行為。堂々と言っても構わないはずだ。でも堂々と言っていいのは子供のうちだけだ。それはさておき、全編に共通しているのは自分を捕らえているものへの抵抗と順応じゃないだろうか。幻想と現実のあわいで、作者の内なる多重の声が紙面に触れて文字に変化しているような奔放な文体。様々な感情が互いに浸しあい、ぬるりと吐き出す。この方の作品には独特の迫力がある。
2018/08/21
ヒダン
村や一族の狭くて濃やかな気配があって、故郷である田舎に染まりきれていない、そんな人が主人公の短編が4つ。「大地の黴」「ふるえるふるさと」は土地が同じだが、後者がどんどん場面転換していくので読み終わってからしか気づかなかった。表題作は二百回忌という一大事ゆえに親戚が勢揃いするし死者もみんなに覚えられている人は出てこれるというガヤガヤした中で行われる。めまぐるしくてばかばかしくもあり笑える。「アケボノノ帯」の私はなぜこんなに龍子ついて詳しいのかと不思議に思う。金縛りにあった私に語りかける精霊とは何なのだろう。
2016/07/25
しゅんしゅん
圧倒的な歪んだ時空間における土着的な狂騒。死者が蘇り、生者と共に入り乱れるカオス。現実と幻想が境界を喪失してこれでもかと突進するドライブ感は形式や体裁を形骸化する後押しをしてくれる。日本的マジックリアリズムの降臨。生々しい方言が大地に横たわり、かすかに残る確かさの感覚に繋ぎ止めていてくれるよう。赤い喪服を着て参加をするお祭りのような二百回忌。親戚付き合いが絶縁状態になろうとも、この祭りにだけは出ずにはいられない。悪夢のような怪奇現象が何故だか心地よい癒しとなる暗いのに心が躍るようなカーニヴァルへようこそ。
2021/07/17
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