カンバセイション・ピース (新潮文庫)
カンバセイション・ピース (新潮文庫) / 感想・レビュー
Mumiu
幼い頃に2年だけ過ごした家、時を重ねた家はたくさんの記憶を伴って、40年近くぶりに再びその家に住まうことになった高志に今見ているかのように語りかける。今は鬼籍に入ってしまった伯父と伯母、いとこたちと猫、あの時この時の自分。そして今この家に住む自分たちと猫、訪れるいとこたちが彼の内面で交差する。季節が動き、野球の1シーズンが終わる。物語の世界も登場人物たちも魅力的なのに一度は挫折し、今回も時間がかかったのは彼のモノローグ部分の冗長ともいえる哲学成分のせいかもしれない。
2015/10/31
優希
物語としては曖昧ですが、記憶に満ちている濃密な作品でした。過去と現在がつながる、そんな感じでしょうか。
2022/01/19
翔亀
保坂さんらしさ全開。小説の極北だ。過度に日常的で、<家>や庭の描写が過度に濃密で、哲学的思索が過度に執拗で、しかも会話が噛合わず現実と回想が重なり合って論理的展開がない。しかも長い。読む方はいつしか、夢の中を彷徨い出す。よくぞ書いたり(私もよくぞ読み切った!)って感じだが、この作品は稀有な読書体験をもたらしたものとして長く記憶に残りそうだ。ストーリーは、作家内田が、少年時代を過ごした家に、一緒に住み込んだ妻と友人(=社長)と社員2人と姪の疑似家族6人と3匹の猫と過ごす毎日が描かれるだけ。しかし・・・。
2014/10/11
chanvesa
むかし顔を出していた読書会で、メンバーの方が、この本を「サザエさん的」と指摘されていた。確かにその面もあるが、この小説の主人公は「存在していないこと、消えてしまったもの」ではないだろうか。白血病で死んだチャーちゃんというネコは追憶として絶えず出現する。(語り手・高志も伯父の高等遊民的な姿に投影される。)ハイデガー&シェリングの擬人化理論も投影であり、クモの巣のような遠隔・間接的な触手を使って、人間が生活し、錯覚を見るのではないか。それをウソだと切り捨てないことに人としての余韻・余裕が存在する気がする。
2015/01/28
おにく
とある一軒家に住み始めた小説家の私と妻、そして数名の同居人と猫3匹の生活が淡々と綴られる“小津安二郎的”という表現がしっくり来る小説だと思います。つかみ所がなく読むのに苦労しましたが、その反面「これはこういうものだ。」と当たり前すぎて深く考えもしなかった事柄について、小説家や主婦、学生それぞれの考えが描かれ“目から鱗”な部分が多かったです。それと読んでいる間、自分の子供時代の記憶がフラッシュバックして、懐かしさとともに自分の今の生活も、いずれ想い出になるのだなぁとしみじみ感じました。猫の描写が多いのも○。
2015/03/09
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