フラニーとズーイ (新潮文庫)
フラニーとズーイ (新潮文庫) / 感想・レビュー
ミカママ
終始、春樹さまを背景に読んでいた。ニューヨーク中心に住む、ユダヤ系家族。アッパーミドルの苦悩。ある意味、サリンジャーの私小説なのだろう。悩めるフラニー、子どもに干渉したがる母親、妹にウザったい宗教論をぶつズーイ。あれ、父親は?ここでも父権不在なのか。20代の頃いちど挫折しているサリンジャー、春樹さま訳なら、と期待したが、ここでも「もっとサリンジャーを読みたい」にはならなかったな。
2019/06/25
ヴェネツィア
この小説の刊行は1961年。アメリカで大きな価値の転換が起り、政治的にも、文化的にもカウンターカルチャーが続出していた頃だ。本書の前半には特にこうしたことの反映が顕著である。大統領選挙、ライフ誌、その他諸々の「ノーマルなもの」(それを代表して体現するのがレーンだ)への反抗が語られる。物語の後半は、もっぱらズーイの議論が展開されるのだが、その到達点が精神的な達観にあるとすれば、ズーイの執拗さと我意の強さは、いささか辟易するところ。思想的には臨済禅の公案を思わせるが、行動からは、むしろチベット仏教に近そうだ。
2014/03/04
抹茶モナカ
とにかく会話に終始していて、面白いのやら、よくわからなかった。フラニーをズーイが救う話のようなのだけれど、救済されて行く感じも掴めず。他の方の翻訳したものが、本棚にあるから、読み比べてみよう。そんな風に再読する気分にはなった。でも、恐らく、この小説を読むべき年齢で、読まずに来てしまって、もう心に届かない年齢に、僕がなったんだろう、とは思う。
2014/03/17
へくとぱすかる
7月ラストがこの本になるとは、一週間前には全く考えていなかった。偶然は初サリンジャーという思いがけない出会いをもたらしてくれる。若い兄妹の大学生活の中の出来事の物語だろうと考えていたら、みごとに違っていた。日本ならここまで宗教的内容にはならないのでは。文化の違いを見る思いがする。前半で、彼氏と宗教的にずれてしまった妹を、後半で兄のズーイが救済していく。電話のシーンが小説らしいものの、宗教議論が圧倒。しかし哲学的細部にはこだわらず、雰囲気と妹の様子に注目して読了。説得よりは話をすることの安心感ということも。
2020/07/31
ehirano1
「純粋であるが故に苦悩している末妹(フラニー)を妹想いの次兄(ズーイ)が支えて救った」という話だと思うのですが、「苦悩」の根源と「救い」について考えさせられました。私の見解では、「苦悩」の根源は『純粋』、「救い」は『今を生きる』ということかなと思った次第です。
2024/11/04
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