地下街の人びと (新潮文庫)
地下街の人びと (新潮文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
1950年代のサンフランシスコを舞台にしたビートニク小説。マリファナと酒とセックス漬けの日々といった物語だ。作者のケルアックはビートジェネレーションを代表する一人だが、小説は作者自身とおぼしき主人公の1人称語りで展開してゆく。作中には御大アレン・ギンズバーグらしき人物も登場するし、セロニアス・モンクもライヴだ。そんな彼らには、そもそも基本的に私有の観念は希薄なようであり、したがってセックスは時にオージーの様相を呈するし、特定の相手を占有するという発想からは遠い。なお、翻訳の文体はややスピード感に欠けるか。
2014/02/11
ケイ
この作家もビートニクもよく知らないし、この時代のアメリカ文学はヘミングウェイ以外は何度トライしても受け付けられないのだが、なんとなく表紙から興味を持って手にとった。作家の半ば自伝的小説なのだろうか。数多い登場人物もおそらくモデルがいるのかな、次から次へと出てくる名前に戸惑った。マードゥの人を惹きつける魅力はよくわかるが、彼女自身の深みが全くないので、彼女との事は刹那的なものにしかならず、そして小説として書きとめることしかなかったのだろうと思った。
2014/04/07
えりか
溺れる。酒に。ドラッグに。セックスに。男に。女に。でも、心はずっと満たされず寂しい。孤独。不健康で堕落的。弱いから怖いから、強くなりたくって、へっちゃらになりたくって。また刹那的な快楽に溺れる。抜け出せない。やるべきこともできなくなる。何かを所有した気になったって、無くした時の恐ろしさに耐えられないから、すぐに手放したくなる。でも、本当は手放したくないほどに愛せる人を、今の自分を変えてくれる人を、ずっと大切に思いあえる人を求めている。
2015/12/04
meg
おもしろかった!本当。 p96 ーあなたはあんまり寂しい気分になってはいけないんだから
2024/04/19
鈴木拓
ビート・ジェネレーションを代表する作家と言われるケルアック。刹那的に生きる主人公らは、孤独を恐れずに斜めから社会を捉えているようで、実際には小心で孤立することを恐れ、その不安を打ち消すかのように酒やドラッグ、セックスに溺れていく。ジャズがビバップへと発展していった時代、チャーリー・パーカーを聴いた夜の出会い。彼らはビバップのように目の前の「今」に対して振舞うことで、明日の不安から逃れようとしているのだろうか。それでも明日は来る。しかし、今はまずチャーリー・パーカーを聴こう。
2024/06/25
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