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カリギュラ,誤解 (新潮文庫 カ 2-5)

カリギュラ,誤解 (新潮文庫 カ 2-5)

カリギュラ,誤解 (新潮文庫 カ 2-5)

作家
カミュ
渡辺 守章
鬼頭 哲人
出版社
新潮社
発売日
1971-01-01
ISBN
9784102114056
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カリギュラ,誤解 (新潮文庫 カ 2-5) / 感想・レビュー

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のっち♬

不可能性をめぐる情念を扱う初期の戯曲二篇。共に《不条理の連作》に属し、"論理"一辺倒と"反抗"怠慢が招く不自由を簡潔明解に示唆している。『誤解』の《行為者の無知と観客の知》や硬質鮮明な文体は状況追求には適するが、展開からスリルや生命力が削がれてしまう。『カリギュラ』は青春の魅惑を備えた人物追求を採ることでこれらの欠点がプラスに働き、道化芝居を自覚しつつ役に殉ずる主人公を通して、不条理・自由に麻痺した聴衆への作者の愚直な訴えがよりグロテスクかつ卑近な距離で伝わる。古典悲劇と手法の相性が現れたユニークな対比。

2023/05/20

yumiha

『この私、クラウディウス』(ロバート・グレーヴス)で、カリギュラの暴君ぶりは、たんと味わった。それをカミュ脚本では、どう描くのだろう?と読んでみた。やはり暴君なんだけど、ただの暴君ではなく、上っ面の美徳とか神々とか元老院とか詩人とかを疑い、本質を見極めたいと苦悩しているところが『この私…』とは違う。でも「悪の中で純粋」と言われても、俗物の私なんかすぐ殺されそうなのは、イヤだな。

2024/01/27

藤月はな(灯れ松明の火)

偽善、追従など構成された不条理な世界を支配するために自らが世界の不条理となったカリギュラ。自分に掛けられる信頼も愛情も人々も切り捨てて不条理の断崖の縁へと行き、自分たちの幸福を守るために彼を殺そうとする者の手によってその身を投じさせようとする姿は徹底した潔癖と苛烈でありながらも痛々しく、人を惹き付けてならない。だからこそ、彼に父を殺されて憎悪しつつも彼の深淵と共鳴し、彼を愛するようになる若きシピオンや最後まで共にいたが愛を与えようがした上に殺されたセノピアの気持ちにも共感してしまう。我々は何処にいくのか?

2013/05/13

katsubek

今やもう、既に絶版となっている本書。古書として入手。奥付けを見ると昭和46年とある。...ボヘミアン・ラプソディが流行った。が、その歌の根底にあるのがカミュであることはどれほど知られているか。...本書との最初の出会いは40年前。高校生であった。小難しい芝居を好む仲間たちと、この難解な作を、ああでもない、こうでもないと、真剣に討論した日々の何と幸福であったことか。...さあ、そろそろ前を見よう。我が人生、まだまだこれからである。

2019/02/26

きりぱい

残酷な暴君で知られるカリギュラ。愛する妹を亡くして今まで見過ごしていた不条理に気づくというか、だからって自分が不条理に突っ走って無慈悲に人を殺されてはたまらないのだけれど、シピオンやセゾニアのように狂気の中に見える直な自我がどこか憎めず。『異邦人』の不条理感とはまたちょっと違うけれど、死への向かい方、正直に生きる点では似ている?「誤解」はまた皮肉な話。色々きついけれど娘が不憫。序文に「もし人が自らを認めて欲しいと望むならば、ただ自分が何者であるかを率直に言うべきである。・・」うむ。

2013/12/29

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