夏の闇 直筆原稿縮刷版
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夏の闇 直筆原稿縮刷版 / 感想・レビュー
奥澤啓
この作品を読んだのは高校一年生の時。打ちのめされた。その時から四十二年。未だに本作にこだわっている。開高作品との最初の出会いは中学一年生の時の『フィッシュ・オン』。この二冊と遭遇しなければ開高を読み続け付きあいつづけることはなかった。本との出会いは人生を左右する。生前でた本はすべて読んだ。元版にはサイン会で献呈入りで署名をもらった。その時のパンフがある。新潮社にも残っていないと幹部の方から聞いた。文庫とは本文が違う事をはじめて知る。元版とはどうなのか。「新潮」掲載版とはどうなのか。これから知りたい。
2019/03/16
fseigojp
輝ける闇、夏の闇、花終わる闇(未完) 闇三部作というらしい 老舎が北京にある煮込み屋でのそれが数百年つぎたしつぎたし作られるという話をして、革命後の生きづらさを暗示したという話を開高が書いていたが、夏。。。以後は、それに近いものがあった ヘミングウェイの日はまた昇るほどカラッとはしていないが、やはり開高は日本のヘミングウェイではないだろうか
2017/07/26
奥澤啓
それにしてもある小説を草稿で全部を読んだのは初めての経験だ。開高の字は、晩年になればなるほど「開高さんの字」といいようがない、活字体に近い人なつこい独特の字になっていった。開高は原稿用紙の最後の行で書き間違えると初めから書き直したそうだ。原稿用紙の枡目に一字一字を刻むように書く姿勢を終生貫いた。文章と言葉そのものへの潔癖症を感じる。本作では後半になるほど直しや訂正、書き込みが増える。書き直す手間と時間を惜しみ、すさまじい集中力をもって一気に書きすすんだにちがいない。その集中力と緊張感が草稿から伝わる。
2019/07/22
奥澤啓
『夏の闇』は「明日の朝、十時だ」で終わる。けれども「十時だ」の部分は草稿段階では「南行きの席を予約する」である。現実世界での開高は「女」とドイツで分かれ、ボンからパリに行き、南回りのエールフランスでサイゴンに行き十月に帰国した。それが「南行きの席を予約する」の意味である。そして縮刷版のこの部分を拡大して気づいた事がある。「南行きの席を予約する」を消して「十時だ」となっているのだが「十時だ」が開高の字とは思えないのだ。担当編集者「新潮」の坂本忠雄氏によるものだろうか。開高健記念会の方に確認をお願いしている。
2019/07/22
kaji
文藝春秋「100年後まで読み継ぎたい100冊」特集で、奇しくもお二人の方がこの作品を推していたので読んでみた。図書館に所蔵している直筆原稿縮刷版、黒く塗りつぶしてあったり一行アケルなど原稿用紙に書いたままを本にしているので読みにくい。生々しさ100%本。決して楽しい読後感はない。独特の雰囲気があって、後を引きずる作品だ。降参、もう読みたくない、と思うが、確かに他の人にも読んで欲しい、という『読み継ぎたい一冊』であることを確かめた。
2023/02/01
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