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どうせ、あちらへは手ぶらで行く: 「そうか、もう君はいないのか」日録

どうせ、あちらへは手ぶらで行く: 「そうか、もう君はいないのか」日録

どうせ、あちらへは手ぶらで行く: 「そうか、もう君はいないのか」日録

作家
城山三郎
出版社
新潮社
発売日
2009-01-01
ISBN
9784103108184
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どうせ、あちらへは手ぶらで行く: 「そうか、もう君はいないのか」日録 / 感想・レビュー

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クリママ

城山氏、71歳から79歳で亡くなるまでの手帳の日記。誰と会った、どこに泊まった、どこで食べた、家族の心遣い、その日に感じた思い…備忘録として書かれ、それはそのころの人がよく付けていたものだと思う(父の紺色の手帳や義母の赤い手帳があった)。老化を実感する文章、そして、奥様を亡くされたことも。詩も書かれている。「…天国に行って待っているやつもいる どうせあちらへは手ぶらで行く みんな気ままに天に向かって歩け歩け」「楽々鈍、鈍々楽」どうなんだろう。作家とはいえ、あまり公開されたくなかったのでは…

2024/09/06

kawa

城山氏の79才で亡くなる晩年8年間の日記等を中心にまとめた一冊。この間に、最愛の伴侶・容子さんを亡くしその喪失感が尋常でなかったこと、物忘れや勘違いが徐々に多くなる様子等、老いの様子が乾いた筆致ながら生々しく記される。自分もそろそろそんな年齢に近づく。果たしてどんな老境を迎えるのか。氏いわく「本を通して、人間を旅する(略)これが最高のやすらぎとなる旅である!」心配6分、楽しみ4分。(市立図書館リサイクル本)

2023/02/27

Maiラピ

“残り百の望みが叶えられるとしても、ёの命の千分の一、万分の一にも及ばない。”“久々に 妻の顔よ 夢醒めて 闇ひろがりぬ 闇きわまりぬ”“それほどの容子、おかげで46年、豊作の人生であった。誰にも負けない豊作の続きであった。”亡き妻ё容子さんへの想いが切ない。そして家族である娘、息子、孫への感謝の言葉がいっぱい。恣意的に見えて、悪い意味ではなくほんとは死後家族が読むことを意図された優しさかな。手記が1951年の出会いの年にもどり“もえる様な赤いスーツ、白いブラウス。ばったり息絶えそう”に胸キュン(-ω-*

2011/09/02

ツキノ

克明な日記ではなく、手帳に書かれたメモ、日録。老いに対するとまどいや自嘲、そしてやはり最後の次女の紀子さんの手記にしんみりする。

2010/11/06

しお

図書館。とても胸が苦しい。ちょうど文庫になっているので、探して手元に置いておきたい。

2011/07/30

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