福永武彦戦後日記
福永武彦戦後日記 / 感想・レビュー
ふゆ
日記というのはなんというか個人的すぎて躊躇していた所、背中を押してくれた人がいて読みました。確かに苦しい胸の内は分かるんだけど…「風土」を書くためにサナトリウムに入所したものの煙草が切れてイライラするとか、妻子を帯広に置いて東京でマツタケのすき焼き食べたら肉が少なくて不満とか、お金がないから働かなければならないとか、そんなんしてるのに愛は献身だなんて、どの口が言った?妻からエゴイストと言われて逆ギレしてるけど、いや、愛される努力もせず相手に求めるのは違うくない?これだから、日記は…!!
2019/03/03
月
終戦まもない1945.9.1から1947.7.31までの生活を、断続的に綴った戦後日記。福永武彦の詩や小説とはまた別に、数冊の随筆を通して、改めて小説(のテーマ)とは違った福永の人間味(本質)に興味を持ち、それぞれの小説とも向きあってきたが、本日記は福永小説の根底に眠る愛と死と孤独が日記上の実生活(経験)を通して・・見え隠れしている。読者にとって、この日記だけを読めば・・ある種のegoisme・・が読み取れるかも知れないが、彼の一生を追う人間にとっては、彼の心理を問う貴重な一冊だとも言える。
2020/04/12
Rusty
文学に専念したいと思いながら、生活の糧の不足と病気に苛まれる様子が痛々しい。戦後間もない時期の生活史料としても見どころが多いが、やはり1946年日記の職なし・家なしの葛藤と、1947年日記の妻の自殺を止める箇所が圧巻。最後まで読んで、もう一度池澤夏樹の序文を読んで、後の家族三人の行く先に思いを馳せるとやるせない。1949年日記が刊行されたら読んでみたい。
2014/10/31
novutama
「福永武彦にとって愛と孤独と死は抽象的な観念ではなく恐ろしい現実だった。p.10」息子である芥川賞作家の池澤夏樹は序でこう記す。その言葉は下手な叙情に流される書き手ではないだけに信頼に足る。戦後の混乱期、妻子を抱え職を失い住まいの目処も立たずあるのは文学への情熱と未来への希望だけ。もがきながら歩みを進めるが、あろうことか福永の病は深刻度を増し妻は変調を来す。愛と希望への揺るぎない信念が崩れ落ちそうになる様が克明に綴られている。「希望することは殆ど生きることだ」(Paul Gauguin 、福永武彦訳)
2014/10/13
momo
池澤夏樹氏の父である福永武彦の日記を、本で読むことができるとは思っていませんでした。1945年、福永は妻子を帯広に残して、旅に出ます。戦後すぐの混乱した時に、健康もすぐれない状態で職を探します。苦しい生活の中でも文学に対する情熱を失わず「風土」に取り組む姿が胸を打ちました。日記に記されたノートの文字は、細かく几帳面で 妻の澄子のために毎日日記をつけたと書いているところからも福永の深い愛を感じました。1947年の日記では、二人の関係が変わっていくのが読みとれて、とてもせつない気持ちになりました。
2012/03/04
感想・レビューをもっと見る