福永武彦新生日記
福永武彦新生日記 / 感想・レビュー
キョウラン
「しかし果たして幸福でいるとは何であろう、誰が幸福だと言えるのだろう。人は人生にさまざまな過ちを冒し、おそく後悔し、求めなかった道を 歩き、そして孤独だろう。誰しもが、心の中に一しずくの涙を持って、それを忘れることに一日の生活を築いて行くのだろう」にはなかなかはっとさせられる。いつの時代も文学青年は孤独と苦悩と仲良しである。そういえば福永武彦氏は池澤夏樹の親父さんなんですな。もうちょっといろいろ福永武彦の本を読んでみたいと思った。
2012/12/13
月
前回の戦後日記とあわせて福永を知る上で貴重の一冊と言える。福永自身、1949年の日記は、僕が書いたもののうちで一番いいものであるかもしれないと語っている。つまり、自分の現実が、そこから生み出される小説世界に、必要不可欠なものを意識し、そして本当の意味で小説家として生きてゆく覚悟をした時期だと。主に東京療養所時代での日記ではあるが、後半(1951~1953年)の日記は、澄子(原條あき子)との悲しい決別から、未来の伴侶、そしてその後の福永小説(イメージ)へと繋がってゆく。
2020/05/09
novutama
「死者は生者の純粋な記憶と代りに生きるといふ自覚との中に生き、生者が死ぬと共に真に死ぬ。」「草の花」で主人公の汐見に語らせた言葉そのものだ。息子の夏樹が書くように、この日記自体が優れた小説となっている。福永は自らに伝統的な私小説を書くことを禁じたが、その資質は私小説にこそふさわしかったのかもしれない。この日記が幼き日に生き別れた息子の救いになっただけでなく、父の作品の見方さえ変えてしまったことは想像に難くない。盛んに読んだ10代の頃とは違い、齢を重ねひねくれた読み手となってしまった私でさえそうなのだから。
2014/10/16
Rusty
ロマン的な作風だとは思ったけど、本人の生活と、『小伝』の出生の話等を見ると、さもありなんと思える。キリスト者として「受難」を受け止め、芸術者としてそれを昇華させようと苦闘した、と言えるのだろうか。まあ、『愛の試み』なんかを読むと、清廉なばっかりでもない(甘えと読めば別かもしれないが)し。この日記の中でも何人かの女性が現れるし。『風土』はまだ読んでないが、『忘却の河』『海市』などは生活の目線も十分見られる。著者の意図するところではないかもしれないが、やはりこの日記を読んだうえで小説を読むと面白いと思う。
2015/09/01
アレカヤシ
もし健康な体だったら、小説家福永武彦はこの世にいなかったのだろうか。私からみたら、異常に活動的な療養生活にとても驚かされる。これを読むと、健康体の自分の無為の空っぽの生活が嫌になる。著者は芸術も人生も目一杯だ。本当に生きている、と思う。 著者の小説のかなりリアルなモデルが沢山でてくる。厳しい現実を物語にすることによって受け入れるという小川洋子さんのいうことと近い感じ? (僕は日なた水のやうな幸福なんか求めたくはない。どんなに悲劇的でも、生きてゐると感じるやうな、一瞬のために)P148
2017/10/25
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