大地のゲーム
大地のゲーム / 感想・レビュー
ヴェネツィア
東日本大震災から2年後の3月に書かれた。筆者の意気込みや、作家として書かなければならないとの責務感はわかるが、残念ながら小説としてはあまり成功しているとは言いがたい。タイトルの『大地のゲーム』だが、地震を「ゲーム」に喩えるのは、やはり不用意だと言わなければならない。内容的にも、主題の不統一など、作者の苦闘の跡と、その結果としての空回り感も否めない。最初の震災後のリーダーを中心とした再建組織の問題や、語り手の彼への恋心は、いつの間にか消えてしまったし、かといって地震の脅威や恐怖が主題化されたのでもなかった。
2014/07/25
さてさて
『いつか力尽きるから美しい。その美しさからは逃れられない』という綿矢さんらしい冒頭の一文から始まるこの作品。そこには、地震と共存していく大学生たちの姿が描かれていました。過酷な運命に弄ばれる未来が予見されても『この地から動きたくない、動けない。どれだけ大穴の危険地帯となっても、ここで自分の人生を紡ぎたい』と、その土地にこだわる姿勢をとる主人公たち。それは、『私たちは土を、空気を、水を、けっして本気で憎むことはできない』という『大地とともに脈づく』人というものの存在をふと感じさせてくれた、そんな作品でした。
2021/10/04
hiro
綿矢作品7作目。『憤死』は、主人公が初めて男性であり、綿矢風「世にも奇妙な物語」という感じの作品で、綿矢さんの守備範囲が広がったと思った。この『大地のゲーム』も、21世紀終盤の巨大地震後、さらに巨大地震がくると予測されているなか、学生運動時代をイメージするような、ある国の首都にある大学のキャンパスを描いた作品で、今までとまったく違った作風の作品だった。この作品が、直接、東日本大震災を書いているわけではないが、改めて、阪神・淡路、東日本大震災を思い出して、読んでいる間は、モノトーンの世界にいるようだった。
2013/10/01
ひめありす@灯れ松明の火
伊坂幸太郎は先代の土地から『明るく楽しい物語』を書く事を宣言し、西尾維新は悲鳴という言葉を用いて忘却を現した。村山早紀はお伽のホテルを風早の地に生まれさせ、有川浩は流れたブルーインパルスを一生の支えにした。万城目学や桜庭一樹は自分の営みを文章にする事で、あの日、を、その日、に変えていった。そして綿谷りさはその時を越えて三次元ずれた方向へ物語を展ばす。何度でも私達はぐらつくビットを、摩天楼の様に伸ばす。何度崩れたって立ち上がる。格の違いを見せてやる。私達は負けない。見たか、大地。相手を見てから喧嘩売ってこい
2014/02/15
kera1019
結局、この小説の核は読み取れませんでした…(◞‸◟;)「受け止めがたい辛いことは生きてるうちに何度か起こるよ。でも起こっちゃったあと、どれだけ元の自分を保てるかでその人間の本当の資質が見えてくるんじゃないの。なにも起こらなかったときは良い人なんて情報はなんの役にも立たないよ。」という人間の本質をついたマリの言葉だけが残りました。
2014/09/11
感想・レビューをもっと見る