完本 寺内貫太郎一家
完本 寺内貫太郎一家 / 感想・レビュー
kayak-gohan
ドラマがテレビ放映されたのが昭和49(1974)年で今からちょうど40年前。自分は当時小学校5年生で毎週笑い転げながら見ていた。登場人物の言葉の真の意味も心情も解ったつもりだったが、時を経て活字になったストーリーを読むと当時の理解が浅薄なものだと気づかされた。今では心から納得することばかり。それだけ人生の経験値が上がったのだろう。かつて作者・向田邦子の特集番組でMCの太田光(爆笑問題)が「人がその心の隙から踏み外した瞬間を見逃さない凄さがある」と作者を評したが、本作品を読んでその評言が見事に腹に落ちた。
2014/01/30
たらちゃん
幼かったのでオンタイムでは殆ど見ていないのに、読みながら小林亜星さん加藤治子さんなどの役者さんが生き生きと演じるのが見えました。熱い父親が正に主役の家族。うちの父も夫もタイプは違えど熱い父親だから、幸せなのかも知れません。
2016/08/08
のんのん
懐かしかったです。テレビドラマの場面を思いだしながら読みました。
2013/10/22
文句有蔵
こんな父親、今の時代にはもういないよなぁと、最初から最後まで思い続けて読み終えた。口で言うより手の方が早い。不器用でうまく自分の気持ちを外に出せないが、一途で一所懸命。家族思いで子煩悩だが照れ屋の恥ずかしがり。「家族」を自分の背中の内に隠して、自分一人が矢表に立つ。……物語は昭和50年頃の話だが、あの頃日本全国に、貫太郎のような父親はいたと向田は書いてある。しかし、今は絶滅した。友達親子なんてのが流行ったが、親子が対等だなんておかしな話。絶対的な支配と強権を持ち、義務と責任を負ってこそ「親」だろうに。
2014/02/28
あいくん
☆☆☆☆テレビドラマの「寺内貫太郎一家」は1974年から翌年にかけて放映されました。向田邦子さんは、貫太郎のモデルは自分の父だと言っています。 よくどなり、よく殴り、生きているときは反発し憎みもしたのですが、いなくなってみると妙に懐かしいのは血のつながりだろうといいます。向田邦子さんは自分の父を「天然記念物」だと思っていましたが、放映中に大勢の視聴者から「うちの父にそっくり」だという手紙や電話をもらったそうです。まだまだ当時の日本に残っている普遍的な「お父さん」だったと認識したということです。
2017/11/05
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