玉電松原物語
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玉電松原物語 / 感想・レビュー
KAZOO
私も小学校までは世田谷区に住んでいたので玉電は乗ったこともあり知っています。この著者は私よりも若干若い人ですが時代が共通して懐かしく感じました。この本では著者の小学校・中学校時代の思い出が中心で、最近住んでいた地域にまた行ってどのようになったかを書いてくれています。昭和の懐かしい時代の物語ですね。
2021/05/07
まーくん
「小説新潮」の連載。懐かしい街の情景を描いた表紙絵の単行本。著者坪内祐三は3歳より世田谷松原で育つ。主に昭和40年代、子供の頃の街や近所の人々を綴る。なるほど東急世田谷線は、玉電の支線であったのか。彼は世田谷は山の手ではない、田舎だという。赤堤通り沿いには牧場もあった。三角野球をやる空き地も、古本屋も。八百屋、魚屋、肉屋、スーパーオオゼキがあった。連載最後の文。”…その寺である時私は玉虫を見つけた。死んでいたけど、とても美しかった。玉虫って本当に美しいなと思った。”次回はなかった。彼は急逝した、61歳で。
2021/03/22
Willie the Wildcat
商店街の消失。私が幼少のころを過ごした父親の田舎も同様で、今では住宅街に様変わり。萬屋に近い駄菓子屋と、乱雑に商品を積み上げたおもちゃ屋が、今でも懐かしい。アメリカから帰国しシンガポールに転居するまでの間、子供も小さく”玉電”も当時は活動範囲だった。京王多摩川では、ザリガニとの記載がある。私の場合、二子玉・多摩川でのオタマジャクシ。夏休みの自由研究の定番。記載がなくて挙げたいのが、世田谷の『ボロ市』と三茶の『石ばし』。今年の夏、折を見て奥様と訪問しよう!
2021/02/07
佐島楓
昭和中期の東京世田谷がまるで目の前にあるかのように描かれる。やはりこれは「自分が書いておかないと人々の記憶の中からもすべて消えてしまう」という切実な思いから生まれた作品だろう。小商いの店がどんどん潰れ、ネット通販のネの字もなかった世界はもう存在しない。それを悲しいと思えるか。
2021/02/20
tamami
一昨年の一月に急逝された評論家坪内祐三さんの遺作。少年から青年時代を過ごした玉電松原駅周辺を描く中で、著者の前半生を記した自伝物語になっている。自分が住んだ場所に関わる著者の記憶の詳しさと坪内少年の行動力に驚く。およそネットなど考えられもしなかったあの時代、誰もがあのような濃い子ども時代を送っていたのだろうか。己の生きた故郷と時代を鮮やかな筆致で蘇らせた著者は、幸せな人生を駆け抜けて行った人ではなかったかと思う。著者の名前を初めて知った『靖国』から「玉電松原駅」まで、坪内さん素敵な物語をどうもありがとう。
2022/05/29
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