幻影の書
幻影の書 / 感想・レビュー
ヴェネツィア
喪失に次ぐ喪失の物語。少なくても本書には4つの大きな喪失が語られている。もっとも、物語の最後にはわずかに希望が語られてはいるのだが。また、この物語の中では少なくても3通りの時間が流れており、その構造はきわめて重層的だ。すなわち、物語が語られている現在時、物語の語り手である「私」とアルマが共有した時間、アルマによる「ヘクター伝」の中に流れる時間―これらの3つがそれにあたるが、これ以外にも物語以前に「私」が抱えていた過去の時間がしばしば揺曳するし、あるいは映画の中の時間もそこに加えられるかもしれない。
2012/12/27
キムチ
読書は脳で読む→心で感じつつというが、視覚というのがこうも大きな影響をもたらすかと、ポール作品に触れつつ嘆息。子育て期、「ルルオンザブリッジ」「スモーク」に感銘し、それは俳優女優の演技力としか思っていなかった。私みたいな単細胞は本から入っていく方が深く感銘できそうだ。この書を読み、ポールがシネマの世界にどれほど堪能かよく分かる。作品中に作品を入れ込む手法は「ガラスの街」でお馴染み。今回はそこが洗練され、読み手を幻影というあやかしで酔わせている。H.スペリングの手になる「M.フロストの内なる生」視たいものだ
2017/06/01
内島菫
とてもよくできた話である以上、現実と違いきれいに作られた部分があり、確かにそこに違和感を覚えるものの、書いてある通りにしか思えない細部や流れもある。結局、そもそも小説にしろ現実にしろ、虚実が入り混じった形で存在しているのだろうとまた気づかされる。これまで読んだオースター作品を振り返ってみると(ぼんやりとした記憶なのだが)、消えていくもの/消えたものに対する独特の執着心を様々に見せられてきたように思える。
2017/06/28
さっとる◎
大きすぎる悲しみは大きすぎる喪失とともに。深く自己の内に沈む横を時間だけ通り過ぎ人は顔無し記憶は白く。自らの悲しみに沈みこみすぎた彼が沈んでいった他の生にも大きな悲しみと喪失がある。ただ息する肉体で精神は麻痺し苦しみを苦しみと捉えることすらできず。人は固有の物語を生き、それは固有の物語を有する他人なしでは語り得ない。映像と文字が映し出すたくさんの彼の彼女の物語。彼はあなたで、私。多くを失ってまだ生きている。悲しみの中にいても波は襲いかかるし狂気が育まれるそこでしかし希望も愛も潰えない。まだ生きているから。
2018/12/17
みねたか@
事故で家族を喪い失意の底から立ち上がれない男。キャリア絶頂期に姿を消した喜劇映画俳優。そして俳優がその後の長い余生とも言うべき年月を賭して作った誰にも見られることのない映画作品。二人の人生が交わるその瞬間,火花がはじけるように物語は激しく動き,やがて訪れる無。失意・過去からの再生,それまでの自分との決別あるいはそれまでの人生を貫徹する強い決意。作中の映画の人物も含め幾重にも張り巡らされた人生模様。稀代のストーリーテラーの面目躍如とも言うべき見事な作品。
2018/06/04
感想・レビューをもっと見る