私の親鸞: 孤独に寄りそうひと (新潮選書)
私の親鸞: 孤独に寄りそうひと (新潮選書) / 感想・レビュー
ネギっ子gen
【自分も実はケダモノの仲間入りをして生き延びた、という事実。優しい人間的な人は生き残れなかった。エゴと執着の塊のような悪人だけが、他人を蹴落とし生き延びた……】89歳の五木寛之が、自らの内なる親鸞を語る。新潮講座で語りおろした話に、その他の文章を追加。著者は書く。<これまで多くの本も読んだし、寺にも通い、京都の仏教系の大学にも一時籍をおきました。『親鸞』(講談社)という長編小説も書きました。しかし、いま現在の時点でどうかというと、正直なところ、いまだに親鸞という人の姿がぼんやりとしか見えないのです>と。⇒
2023/08/12
おたま
五木寛之の新潮講座での親鸞に関する語りをまとめた本。ご自身の、平壌からの戦後引き上げ時、これまで封印してきた過酷なかつ生への執着から行った「悪」に関しても率直に語っている。そこから『歎異抄』における親鸞の「悪人正機」にひかれていったようだ。親鸞は極めて優れた、理論的な宗教活動家であったようだが、それよりも人々の孤独によりそう親鸞にひかれるという。どこか遠藤周作の描いたイエスの像とも重なるように感じた。非常に平明に語られた親鸞像であるが、親鸞への、あるいは『歎異抄』への入門書として手に取るのに適している。
2022/04/10
しんすけ
鎌倉期を代表する僧に、親鸞、道元、日蓮がいる。 道元や日蓮の思想は難しいけど輪郭は把握できる。だが親鸞はわからない。 五木寛之は、なぜそんな親鸞に惹かれるのだろうか? 面白く感じたのは五木自身が、それがわかっていないと書いていることだ。 そして親鸞に一歩で近づくために『歎異抄』を薦める。唯円が親鸞の考えを歪めたとも云われる『歎異抄』を。 自身の考え方は、どう強弁しても人に示すのは難しい。だが他の眼から明確化されることは多い。そういう意味らしい。 ソクラテスなんか一冊も本を書いてないけど、よく知られている。
2022/08/30
まえぞう
既に親鸞三部作、全6巻を上梓されている五木寛之の講話をまとめたもので、親鸞に自身の体験や思索から迫ります。歎異抄が、親鸞本人の執筆によるものではないからこそ、親鸞その人がでているのではとされている点が、成る程なぁと思わせます。確かに、論語も「子曰く、・・・」ですよね。
2022/04/02
コロチャイ
五木寛之を知ったのは、私が16歳のときだった。それは「青年は荒野をめざす」題名に魅かれ読んでみると、これが私のバイブルとなったのである。物語の中に出てくるプロフェッサーが、主人公ジュンを゙諭す言葉「失敗を恐れるな、挫折だけはするなよ」と。そんなわけで親鸞も五木寛之の小説で知ったわけである。私自身は信仰はなく過ごしている。けれど慈悲ということばは、どんな行為あるいは意味があるか、以前からおもうことがあった。結局答えははっきりとでていなかったが、五木がなぜ親鸞に行き着いたか、少しながら理解できた。
2023/09/10
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