大江健三郎小説 8
大江健三郎小説 8 / 感想・レビュー
かふ
『もうひとり和泉式部が生れた日』だけ。語り手の四国という共同体で花伯母さんという巫女的な叔母さんが和泉式部を「シキブサン」と言ってお経を読むように、その花伯母さんの言葉に導かれて(それを「言葉のカケハシ」という)みんなで合唱するのだ。それは伝統的(教条的)な和泉式部の和歌の解釈とは違った異化作用的読みであった。その土地で文学が変化していく様相は、後の大江健三郎の文学の鍵となるものである。https://note.com/aoyadokari/n/n7de2ce465418
2023/03/26
あなた
「もうひとり和泉式部が生れた日」は、大江の物語論を考える際に重要な指標となる。彼はここで、近代小説のナラティヴによって失われた「神話=物語」を持ち出している。それはいかに近代小説がいかに物語を抑圧し、分断していったかの問いでもある。物語は、パッケージングし「そこね」る。無意識のとぐろを巻く言語の渦は容易に分断=接合することがかなわぬどころか、無人称的な透明語りも許さない。ここに、サーガの始原から近代小説への根本的疑義がある。と思うんだけど、消化不良です。大江のことがよくわからない
2009/08/08
感想・レビューをもっと見る