大江健三郎小説 10
大江健三郎小説 10 / 感想・レビュー
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イェイツの詩集と併読するかたちで読み進めた。そのせいか、第二部でイェイツを集中的に読んでいた総領事が亡くなってから、イェイツがめっきり引用されなくなったのは、総領事自身の死が遠のくような寂しさであった。この小説最後の言葉の Rejoice! には、おなじくイェイツからの引用で、What is joy? と返し、三兄弟とそのガールフレンドたちの唱和を汚したくなるのだった。大江に反論するようにしてイェイツを読んだのが、むしろおもしろい経験。
2019/01/01
ykshzk(虎猫図案房)
「M/Tと森のフシギの物語」を読んだ後で良かった。でないと、解らない繋がりが多かったのではと思う。とはいえ、一度ではとても理解出来ない壮大さ。また何年かして戻って来たい本。読みながらメモしていた言葉の羅列をとりあえず記録→「一瞬よりはいくらか長く続く間/魂の力/それぞれの苦悩/醜さ/移し替え/苦悩に鈍感にならないこと/結局他人に迷惑をかけることが一番少ないのは、自己本位な選択/一人で祈ることと集団で祈ることとの違いはどこに/地面にしみ込む一滴の水のようにして祈る/無宗教の者にとって祈るとはなんだろうか」
2023/06/27
野生の群れ
どこかで大江健三郎自身が、素晴らしい本にはいくつ主題と人生を励ましてくるものだみたいなことを言っていたが、この本はまさにそれ。大江さんの読書へ取り組みかただったり、彼のやさしさみたいのがひしひし伝わってくる。 興味深いのは、この本が過去の彼の故郷の話で一番、自分と故郷との距離を明確に示している作品だと感じるところ。『万延元年』から『懐かしい年』まで土着的な作家のような感じを思わせるけれど、ここではここではK伯父さんはほとんど東京の成城で仕事をしている。 いい読書体験でした。
龍國竣/リュウゴク
ここで描かれる祈りとは、弱き者が外部から攻撃を受けても一切反撃をせず、ただひたすらに祈り続ける、というもの。それでいて暴力には敏感。その祈る行為について、宗教や世俗のものを含ませない所が良かった。この小説を形容する言葉は多い。知識者の傲慢、とも言えるし、言葉の力を前面に押し出す祈りの形態、でもあるし、作者の集大成、という個人の枠でも捉えられる。一つの小説にこれだけの情報量を詰め込むことが可能だとわかっただけでも新しい体験。 個人的にはウィトキンの作品が登場したのが興味深い。両性具有者の性にも関心を持った。
2012/06/30
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