司馬遼太郎が考えたこと 7 1973.2~1974.9: エッセイ
司馬遼太郎が考えたこと 7 1973.2~1974.9: エッセイ / 感想・レビュー
カピバラKS
●昭和48年〜昭和49年(49歳〜51歳)のエッセイ。司馬は覇王の家を刊行、日本は第一次オイルショックの時期である。●司馬は「富士と客僧」において、富士登山を「殺風景な運動」で「変化のない山だから退屈」とする。自分はアニメ「ヤマノススメ」を観て、未経験の富士登山に夢を膨らませていたので、少しザンネン。●このエッセイ末尾では「人生とは本来無意味」だが、人間誰しも人生に「多少でも意味を見出したいと思っている」ことを述べて、自らの想いをつぶやく。佳いつぶやきであった。
2023/12/06
読生
https://booklog.jp/users/toutoyo/archives/1/4106467070
2020/11/08
しょうご
さてシリーズ<7>、しかし、氏の知識の泉は枯れることはないのか?
2017/05/01
boku
近代の日本に、ついに健康的な野党が成立しなかったのは、西南戦争が、完全に軍事的に制圧されたからだと氏は指摘する。自由民権運動の芽も濃厚に混じっていた反政府運動としてのこの戦争を期に坂本竜馬の名前も歴史から消え去ったという。健全な野党勢力が形成されないという、今日的な政治の課題の原因が、実は、近代統一国家への出発点にあったという考察が興味深かった。
2014/05/16
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