法然と親鸞
法然と親鸞 / 感想・レビュー
りんふぁ
著者の自己主張が強すぎ。著者自身の生い立ちは別の機会にして、純粋に法然と親鸞の話がよかったと思う。肝心の法然と親鸞は、関係性を示すものが少なすぎて、現状よくわからないのかなと思った。40歳も離れてるし、今と違って情報のスピードも違うし。実質、法然の下で学んだ期間もほとんどないように感じた。下化衆生を選んだ部分は似てるが、生き方は似てないと思う。
2017/01/04
greencoffee
五木氏の親鸞を読んだばかりだったので、気になって借りてみました。師匠と弟子の関係の節を読み、また、筆者の教員生活での「一度は生徒に裏切られる」という節とを合わせて考えてみたところ、五木氏の「親鸞」の六波羅王子は、法然と親鸞の思想の違いを分かりやすく読者に考えさせるために作り出された役どころだったのでしょうか。 また、戦後における日本の、師弟関係の垂直軸の衰退による、水平軸だけになってしまった危うさとの論述は、とても考えさせられました。山折氏のいにしえの求道者に馳せる思いが切なく伝わりました。
2012/09/12
hi
「師の存在そのものから自立し、その後に師の本質と合体しようとする道である」Oh...
2015/03/16
keiトモニ
師と弟子の関係軸が新鮮に思えるのは、天邪鬼的性格が多分にあるからでしょうか。教行信証をPDCAとしてみると何か見えてきませんか。しかし、「証」を悟り、救済の証しと思えるまでには、時間がかかりそうですが、ひたすら阿弥陀様を信じ、ご先祖に感謝・供養し、南無阿弥陀仏を唱えてまいります。
2011/12/11
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