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ケータイを持ったサル: 「人間らしさ」の崩壊 (中公新書 1712)

ケータイを持ったサル: 「人間らしさ」の崩壊 (中公新書 1712)

ケータイを持ったサル: 「人間らしさ」の崩壊 (中公新書 1712)

作家
正高信男
出版社
中央公論新社
発売日
2003-09-01
ISBN
9784121017123
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ケータイを持ったサル: 「人間らしさ」の崩壊 (中公新書 1712) / 感想・レビュー

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mitei

著者としては今時の若者が猿に退化してるのではないか?という仮説を元に書いてるような気がする。多くの書評家が言うように昔の若者はどうだったのか?みんな礼儀正しくしていたのか?携帯電話を持ったことで猿に近づいてるのかがあまり納得し難いと感じた。

2015/04/08

とよぽん

10年ぐらい前の本を再読。携帯(スマホ)の普及が家庭や家族のあり方を変えて日本人はサル化した、というのが著者の説くところか。「家(うち)のなか主義」と呼ぶべきライフスタイルは、公的世界の厳しさを回避して居心地の良いぬくぬくとした生活に留まることを促進する。子育てにおいては、食事や生活時間、家計まで子ども中心主義に。そうして精神的に大人になれない若者たち、子離れできない親たちが増える。公私の切り替えをしない人が増えたことも、エレベーターの中の会話で例示され、どんどんサルに近づいていると。

2020/05/15

mazda

人間がサル化している、という内容だと思います。ルーズソックスや靴のかかとの踏み潰しは確かに醜いけど、それとサル化を結びつけるのは少し強引な気がします…。

2014/08/11

キムチ

確かに%では若者に携帯依存が多いし、コミュニケーション力が寒いともいえる。が、年を重ねても そういった男女はいる。若者でも心に引き出しが多い 豊かな人格者もいる。人間とサルを同列に論じること自体、嫌な感覚だ(前頭葉がない分、サルと人間を同列で論じられるか?)引きこもりは日本しかない現象で・・論はよく耳にするけれど、皆無ではないはず。それよりも、こういった学者的見解を装い 感情的な常識論を大上段に論じている社会は 世界的に見た時 女性の地位が下位のままという現象の一因という気がしなくもない。

2013/11/28

Midori Nozawa

共感できるところがありました。著者は霊長類の研究者です。サルと人間との比較で声を発する回数、状況などから、同じ共同体への発声という点が、渋谷に出没する少女たちとサルで似通っていたとか想像でなく観察の積み重ねによる推論です。公の社会に出て行こうとせずケータイのSNSに留まりがちな現代人はサルのようだと。若い人達がなぜ結婚や出産を控えるのかもそこに素があるようだと。明治にできた官僚主義国家で今の家族制度ができ、夫は外で稼ぎ妻は家事をするスタイルができたが、大昔は男女差も少なく、祖父母が多く子育てしたと。

2022/02/09

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