禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 (中公新書 2365)
禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 (中公新書 2365) / 感想・レビュー
SOHSA
《図書館本》高校から大学にかけての一時、文学それも詩の世界にのめり込んでいた頃、現代詩手帖という雑誌を通じて知ったのが伊藤比呂美だった。当時、とても先鋭的な詩を書く女性だという印象が強く失礼ながらそれ以上でもそれ以下でもなかった。私自身は自分との重ね合わせの中で伊藤と同時代の詩人松下育男に共感していったこともあり伊藤のことはいつの間にか忘れていった。今回、坐禅に関する本を図書館で探していた時に偶々本書に巡りあい久し振りに伊藤の名前を見て何やら不思議な懐かしさがこみあげてきた。あの詩人伊藤比呂美と坐禅(⇒)
2019/06/08
さいたまのたぬき
藤田一照さんと伊藤比呂美さんによる「禅」の対談本。いまいち素人にはわかりずらい仏教と禅の世界を詩人でもある言葉巧みな伊藤さんが尋ねることによって、今や世界的な企業で禅について語っている一照さんからとても分かりやすく禅の世界を引き出すことに成功している気がする。体の使い方と心の繋がり息の仕方など座禅をとおして起こることについても様々な角度から見せてくれることにより、人間についてよリ考えるきっかけをくれるような気がするそんな1冊です。
2018/05/16
Y
はたから見たらよくわからないことの例えとして禅問答という言葉が使われるくらいに、難解で内輪の一部の人間にしか開かれていないものだというイメージを禅全般に対して持っていた。仏教の教えが好きでこれまで親しんできたけれど、実践がないことに気づかされたのと、実践あってこその仏教だという認識に至ったので、出家とまではいかなくても、坐禅をしてみたいと思うようになった。坐禅は人を調えるもので、さらにある状況においては人間の成熟を促す触媒のような働きをも持っているらしい。坐禅を通して題名通り仏教の真髄に迫ることができた。
2017/05/06
ももたろう
最高に面白かった。仏教の中でも「禅」はあまり関心がなかったけど、この本でかなり関心が高まった。中国の仏教は経典の翻訳から始まった。だから、注釈をつけたり、内容を分析したり、要するに学問的な仏教となった。そんな中で「仏教と生きる事はどう関係があるのか?」と、実存的な立場から仏教に迫る人達がでてきた。彼らは主に瞑想行をやるようになっていく。これが中国の禅の始まり。禅の立場で素晴らしいことの一つは、頭でっかちのアカデミズムの人間の論理や知識をぶち壊す「禅問答」だと思う。「禅問答」の臨済宗。「只管打坐」の曹洞宗。
2016/09/25
SOHSA
《図書館本》約2年振りの再読。前回にはすくい取れきれなかったところが改めて読み解けたような印象。どこがどうと具体的に言葉にはできないが、詩人伊藤比呂美と僧侶藤田一照の対談の中から、なるほどと腑に落ちる点がいくつもあった。坐禅の本当はまだまだ私には見えないが、薄らぼんやりとその淡い影は見えたような気がする。時を経てまた再読したい。
2021/03/06
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